2020年オリンピック東京開催が決まりました。私自身、正直それほど東京で開催したいとは思っていませんでした。東京でやるより、東洋と西洋の架け橋、あるいはイスラム圏初という、イスタンブールで開催することの意義のほうが、遥かに大きいと思っていたからです。他にも、バブル時代の建設ラッシュや浮かれ気分に嫌気がさしたため、その再来となりうるオリオンピック開催には、躊躇があったのです。
しかし、蓋を空けてみれば東京で決定。決まったからには、ポジティブに受けとめようと思います。
今朝、KBS小幡准教授の「五輪招致に学ぶ日本企業の『勝ち方』」というコラムを見つけました。特に共感したのは以下の部分です。
私はこれから、東京五輪が開催される2020年に向けて、世界で爆発的な「日本ブーム」が起きると考えています。(中略)
このような日本文化の広がりを背景に、2020年の東京五輪を機に起きる日本ブームは、ライフスタイルブームになると思います。過去2度のブームとは異なり、神秘的で謎の極東の国が世界を驚かせるのではなく、「エキゾティシズム」をベースとしたものでもなく、世界の王道としての日本の登場です。
イタリアの陽気さ、フランスの伝統と格式、そしてドイツ流の質実剛健な実用的合理性、これらを併せ持った日本の文化、さらにそれらを超える柔軟性と革新性。これらを反映した日本のライフスタイルが世界を席巻するのです。
「日本ブーム」と書いていますが、言いたいのはブームではなく、日本スタイルが世界で認知され一つの目指すべきモデルとなるということだと思います。そのきっかけが東京オリンピック。私もそこに共感します。
昨晩のあるTV番組で、日本のシャワートイレや和包丁が海外で(まだ一部の人たちに過ぎませんが)、圧倒的支持を受けていると報道されていました。これまでも、新旧問わず日本製のホンモノを絶賛する外国人は、EUを中心にいっぱいいました。多くは富裕層だったと思います。それが途上国の所得レベル向上に伴って、拡大しているのだと思います。
日本人が当たり前だと思っているモノやコトが、意外に海外では当たり前でないことはたくさんあります。旅館やコンビニ、お弁当なんかもそうかもしれません。アップルがiPhoneを開発しなければ、ガラケーがグルーバルスタンダードになったかも。(それはちょっときついか)
当たり前だから海外にアピールしない、だからせいぜいエキゾチズムで終ってしまう。でも、もしかしたらそこには世界で通用する普遍性があるのかもしれない。
そんなことを大正時代から考えていた人がいます。柳宗悦です。彼は、西洋最先端の潮流を追うことなく、東洋的とみた性質を究める方向に進んで行きました。そして、西洋と東洋の相互扶助が成り立つためには、東洋が西洋に対して存在理由を示すことができなければならない。したがって、「各々が自己の主義性格を固守」し「真実の泉が迸る究極の根源まで自己を深く掘り下げてゆく」ことが重要である、と考えます。そこから、民芸を発見していきます。
民芸には日本文化の個性が凝縮されています。無名職工の無作為による美こそが日本文化ともいえる。彼はこういいます。
「美は自然を征服するときにあるのではなく、自然に忠実なる時にある。すべては、作為から放たれねばならぬ」
近代的「小我」的個人主義から脱却し、無心となって、そこに自然がより多く働くようにしなければならない。自己を寂滅し、他力に徹すれば徹するほど、人は「自然の加護」を受け。そこから優れた芸術を生み出すことができるはずと、柳は考えた。(出所:「柳宗悦」中里真理著 岩波新書)
芸術や美を「優れた製品・サービス」と置き換えれば、現在の日本企業にも十分通用すると思いませんか。
日本企業の強みは社員にある、ということはもはや常識です。考えが浸透したとき社員が成果を出すスピードとそのクオリティは、どこの国の企業にも負けません。そこでは、小我的個人主義は存在しません。寂滅しています。皆無名の一職工に徹するから、集団としての力が発揮されるのです。
もちろん欠点もあります。それを補うのが西洋的な思考です。だから相互扶助が必要なのです。そのためにも、我々は「自己を深く掘り下げていく」こと、すなわち他者の追随をするのではなく、日本本来の力を究める努力を続けるべきなのです。
そういったことを、日本人自身にわからせてくれるきっかけとして、2020年オリンピックは時機を得たものなのかもしれません。
柳宗悦――「複合の美」の思想 (岩波新書)
中見 真理
