相互の学びが信頼を築く:「最強のふたり」を観て

学ぶという行為は、本来一方的なものではなく相互作用のようなものだ、この実話に基づく映画「最強のふたり」を観て、あらためて確信しました。

 

富豪だが首から下が麻痺しているフィリップと、彼の介護に雇われた暴れん坊の黒人であるドリス。この二人の物語です。気難しいフィリップは、あえて自分に迎合しようとしないドリスを、多くの希望者の中から選びました。

 

二人の住んでいた世界はまるっきり正反対。フィリップは、クラッシクの名曲を生演奏でドリスに聞かせます。ドリスはストレートに(フィリップが期待しないような)感想を述べますが、そのコメントを新鮮に感じ面白がるフィリップ。そして、挙句の果てにドリスのiPodをスピーカーにつないで大音響で流したソウルミュージックに、一同が踊りだす。

futari.jpg

 

また、高尚な詩を散りばめた文通を密かに楽しむフィリップに対して、ドリスは無理やり文通相手に電話を架け、会うお膳立てをします。ラストシーンは、一度はフィリップの恐れから会えなかったその二人が、海辺のレストランで初めて会い、それを確認するかのように窓越しに離れていくドリスの姿でした。(この時のフィリップとドリスの表情が素晴らしい!)

 

このように、上流のフィリップが下流のドリスを教育する話なのかと思うと、そうではありませんでした。1964年の「マイフェアレディ」は、上が下を教育しながら、密かに心惹かれるというストーリーでしたが、2012年のこの映画は、上が下を教育しているようで実は上が下から学び、双方は固い絆で結ばれるという構造です。非常に現代的なストーリーではありませんか。

 

「上」と「下」は、過去の出来事や伝統によって規定されたものです。変化がなければ、上から下へナレッジが流れるのは自然です。しかし、変化が激しく過去に既定された上と下が意味をなさなくなると、弱いのは「上」です。なぜなら、強固な成功体験とそこから生み出されるプライドが、変化へ対応することを阻害するからです。一方、「下」は失うものはないため、いかようにも変化に対応して生き残ろうとします。従って、上が下から学ぶことも有効になってきます。

 

上であったフィリップが下のドリスから学ぶことができたのは、彼が最愛の妻を難病で亡くしたことと、自分自身がパラグライダーの事故で首から下は麻痺という二重の悲劇で大きな喪失感を持っているからかもしれません。

 

もうひとつは、ドリスは決して自分が下だとは思っていないからでしょう。面接に並んだ他の介護候補者たちは、身分としては自分が下だが、健康で介護してあげられるという意味では上なんだという、屈折した感情をフィリップに抱いていたとしても不思議ではありません。しかし、ドリスはそういう感情を一切持ちません。ただ自分があり、対等にフィリップにも接しているだけです。

 

ところが、映画が進むに従って、実はドリスはそういう態度を取ることで、フィリップが元気になることに気付いているのではないか、とも思うようになりました。そう、下の自分が天真爛漫に対等に接することで上を学ばせることができるのだと。そういう賢さをドリスは持っています。いえ、フィリップと接するうちにそういう賢さを身につけていったのかもしれません。ドリスもフィリップとの関係で学んでいるのです。

 

エンドロールに、現在のドリスは経営者として成功しているとの記述がありました。彼の素質がフィリップによって開花したに違いありません。

 

この二人の幸福な関係から、相互に学びあうことで強固な信頼関係を築ける(その反対ではなく)ことを学んだ気がします。心に沁みる、いい映画です。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 相互の学びが信頼を築く:「最強のふたり」を観て

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.adat-inc.com/cgi-bin/mt-tb.cgi/575

コメントする

このブログ記事について

このページは、福澤が2012年10月17日 16:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「チャンスをつかむ人とそうでない人」です。

次のブログ記事は「プラトンの哲人王育成プログラムに学ぶ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.1