何者でもない自分

研修では育成は無理だ。結局現場で苦労させて修羅場体験をさせなければ、人は育たない。常に聞く言葉です。全く同感です。人が育つのは現場においてであり、研修はその後方支援にしかすぎません。

 

では、現場で苦労させればそれでいいのでしょうか。当たり前ですが、苦労の質によります。ビジネスパーソンで、現場で苦労していない人などいません。では、どんな苦労が人を成長させるのでしょうか。

 

今日から日経朝刊「私の履歴書」は、安藤忠雄さんです。とても楽しみです。今日の回でも、いろいろ面白いことが書かれていました。建築家とは

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一見かっこよさげに見えるかもしれないが、一に調整、二に調整だとありました。考えてみれば、施主と工務店などとの間に入る仕事です。夢を語る施主ほどおカネを持っていない、とも書かれています。自分の経験を思い出し、思わず納得。だからこそ、そこに価値が生まれるのです。もし、最初から調整も不要、費用と期待が合致していたら、大した価値も付けられず、やりがいもプライドも持てないでしょう。それ自体、他のどんな職業でもいえることです。

 

さて、学歴も経験も実績もコネもない安藤さんがここまで来られたのは、ただこいつは面白そうだということだけで仕事をさせてくれた、大阪の施主さんたちのおかげだと書かれています。看板がない状況で仕事をするということは、ものすごく大変なことです。最終的には頼るものは自分自身しかありません。そのためには、あらゆる努力が必要です。これこそが、人を成長させる「苦労」なのではないでしょうか。

 

私の周囲にも、大きな看板を持たずに独力で活躍している方は大勢います。一方で、大きな会社の看板を背にして、とても大きな仕事をしている人も大勢います。どちらも素晴らしいことです。後者の人は、看板を利用しているものの、看板に依存してはいません。しかし、大きな看板だけを頼ってぬくぬくしている人もいなくはありません。それで成長するのは無理というものでしょう。

 

本当に成長させようと思うなら、一度看板が効かない世界、あるいはこれまでの強みが活きない世界に放り出すことです。それがある程度計画的にできることが、日本の大企業の最大の強みだと考えます。

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このページは、福澤が2011年3月 1日 10:23に書いたブログ記事です。

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