コンテクストを操る

研修を提供する側には、二つのパターンがあります。ひとつは、コンテンツ重視がとでも言いましょうか、緻密なティーチングプランと講師用教材が用意され、講師に依存しなくても、一定のサービスが提供できるパターンです。大量の講師が用意でき、規模を追求することができます。

 

もうひとつは、講師がティーチングプランも教材も用意するパターンです。多くの場合、その教材は、開発した講師しか使えません。開発者が他者の使用を許可しないことも多いですが、そもそも他者では使いこなせないという前提があるのでしょう。

 

大量生産型か、職人芸型ということもできます。その中間は、ないのでしょうか?私はあると思います。

 オーケストラ.jpg

音楽の世界では、作曲家が楽譜に落としたものを、演奏家が独自の解釈で演奏します。また、演劇の世界では、劇作家が書いたシナリオが、演出家と俳優によって演じられます。これらは、大量生産でも、職人芸でもないでしょう。

 

楽譜やシナリオは、生み出した人が便宜上紙に落としたものに過ぎず、それ自体は絶対的なものではありません。

アイデア(作曲家)→楽譜(作曲家)→演奏(演奏家)

矢印の間には、とても大きな距離があり、解釈する余地はとても大きいのではないでしょうか。

 

アイデア、楽譜、演奏は、いわばコンテンツです。しかし、矢印のところではコンテクストを読み解く、擦り合わせのプロセスがあります。作曲家と演奏家の間のコンテクストのぶつかりあいとも言えましょうか。それがあるから、時代や状況が変わっても優れたコンテンツは生き残っていくのです。

 

さらに、演奏家や俳優は、現場で観客ともコンテクストを交換するのです。

アイデア(作曲家)→楽譜(作曲家)

             感情(観客) ⇒演奏(演奏家)

 

研修教材と講師と受講者の間でも、それと同じ関係が構築できるのではないでしょうか。コンテクストを操ることができる教材開発者や講師こそが、ホンモノだと思います。

 

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このページは、福澤が2009年3月23日 19:10に書いたブログ記事です。

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