田中角栄というと、どうしても金権政治家のイメージが付きまといます。今太閤と呼ばれた田中は、栄華を極めながらバカなことをしてしまいそれまでの評価を台無しにしたところまで秀吉と似ています。
ところが、中国では非常に尊敬されているそうで、娘の田中真紀子まで訪中時には、大変な歓迎を受けていました。72年に北京を訪れ日中国交正常化を成し遂げたことは、リアルタイムでTVニュースを見ていたので、知っていますが、ニクソンに出し抜かれたから行ったまでで、なぜそこまで中国で敬意を払われるのか、日本での評価の低さを考えると不思議でした。
しかし、本書を読んでその理由がはっきりわかりました。日中双方にとっても偉大な働きをした傑出したリーダーでした。私はこれまで知りませんでしたが、日中国交正常化交渉は、驚くほど政治的に難しいものだったのです。詳細は、本書を読んでいただくとして、田中が盟友大平外務大臣と官僚をいかに活かしたかに、興味をそそられました。
私が好きなシーンです。
北京でのトップ交渉のある夜、交渉に行き詰った交渉団の面々は、落ち込んで食事に手をつけられませんでした。そこで田中だけが楽しげに振舞っていたそうです。周恩来首相に罵倒されて落ち込む高島条約局長に田中は言います。
「高島君、ご苦労だったな。あれ以上周恩来が言ったらな、俺はガーンとやり返すつもりでいた。だけどまあな、来たばっかりだし、喧嘩をしにきたのじゃないしな。ともかく、飯食ってからまた考えようや」
生真面目な大平が喰ってかかる。
「そんなこと言ったって、じゃあ明日からの交渉をどう持っていくのか。」
田中はこういって笑ってみせる。
「大学を出たやつはこういう修羅場になると駄目だな」
大平は珍しく感情をむき出して言う。
「修羅場なんて言うが、明日からどうやってやるのだ、この交渉を」
大平は家族に遺書を託し、命懸けでここにきているのだ。
田中はにやりとし、
「明日からどうやって中国側に対案を作るなんて、そんなことを俺に聞くなよ。君らは、ちゃんと大学を出たのだろ。大学を出たやつが考えろ」
この言葉に、全員が顔をほころばせ、部屋中が笑い声に包まれた。
田中は、大方針を示したうえで、信頼する部下には任せるといったら本気で任せた。あとは周囲が気持ちよく働けるように最大限の支援、心配りをみせたという。
もうひとつのエピソード。
晴れて交渉妥結し調印後、一同は飛行機で上海に向かう。日中首脳を乗せた特別機が北京を飛び立つと、過労気味の田中は周の目の前で寝入ってしまう。二階堂が「起こしましょうか」とい焦ると、周は、「二階堂さん、寝かしておきなさい」と笑みを浮かべた。目のやり場に困る雰囲気となったとき、その場を救ったのは大平だった。大平が周の話し相手になり気配りを見せたのだ。大平のほうがはるかに過密日程だったのに。田中が起きたのは、上海空港着陸後だった。
周と田中、そして大平、この三人の信頼関係なくしては、日中の関係は今と異なってものになっていたかもしれません。
首相秘書官も務めた小長啓一は、田中は政治家のリーダシップに必要な以下4つの要素を全て備えていたと言う。
①
企画構想力
②
実行力
③
決断力
④
人間的な包容力
40年も前の出来事が、今もなまなましく感じられ、憧憬とともにこれからのリーダーの姿を考えさせられる、優れた本でした。