非暴力を学ぶ:上野千鶴子さんの講演を聴いて

昨晩、上野千鶴子さんの講演を聴いてきました。ジェンダーとケアがテーマでしたが、それにとどまらず様々な事を考えさせられました。

セクハラやパワハラなどの「ハラスメント」は、力関係が非対称な状況の下で起こります。つまり、強いものが弱いものを抑圧する。これらは、必ずしも権力によるものだけではありません。

あいちトリエンナーレの問題も、ある芸術作品を不快と感ずる人々が展示を止めさせるべく、メールや電話という手段を使って主催団体を攻撃したことが直接的な原因でした。

メールする側は本人を特定される可能性は低く(逮捕者はでましたが)、一方の受信側は個人を特定されます。明らかに力関係は非対称です。

また、「お客様は神様です」が暗黙の前提になっている日本においては、力関係がお客の側に傾いていることが普通でしょう。これは権力ではありませんが、抑圧ではあります。

強い側は暴力をふるっている意識はないでしょうが、力関係を利用した言葉による暴力に違いはない。

しかし、これは誰もが暴力を振るう側になる可能性があること示しています。社会とはそもそも非対称な関係性で成り立っているのですから。

だから昔から日本では、親は子に「弱いものいじめをしてはいけない」と言い続けてきたのだと思います。

私たちは力関係で強い立場にいるということは、それだけでもう暴力(身体的だけでなく)を振るうリスクが高いことを自覚しなければなりません。そして、非対称な力関係の下で、権力の乱用(=暴力)を抑えることを学ぶ必要があるのです。

講演の最後、会場からある女性が質問しました。

「私は66才で、1年半前に高校教師を定年退職しました。これから上野先生がおっしゃるような非暴力を学んでいこうと思います。しかし、多くの人たちはそれを学ぶ手立てを持てないのではないかと思います。どうしたらいいでしょうか?」

それに対する上野さんの回答が面白かった。

「とてもいい質問をありがとう。あなたは教師だったので、権力をかさに子どもたちに暴力を振るってきたのでしょう。肉体的な暴力は振るわなかったかもしれませんが・・。自分のことは分からないものです。あなただったら、子どもたちから学べばいいのです」

上野さんはバッサリ、質問者が権力者であり暴力を振るってきたことを自覚させました。その上で、弱いもの、ここでは子どもから学ぶことを促しています。具体的に、どのように子供から学ぶかまでは言いませんでしたが、私は目の前にいる弱いものに身になって感じ考えられる想像力を持つことを、上野さんは促しているのだと感じました。

弱者が強くなれる社会ではなく、弱者が弱者のままでいられる社会、すなわち相互依存できる社会をつくらなければならないと、上野さんは強調していました。すべての人間はいずれ齢を取り、弱者、依存者になっていくのだから。

今の日本では、成長しなければダメ、強くなければダメ、自己責任だ、ということが何となく正しいことのような風潮になっています。これは強者の論理であり、暴力の論理です。しかし世界は、グレタ・トゥーンベリさんに代表されるように、この方向では限界だと気付きつつあります。パラダイムは変わりつつあるのです。

私人と公民:香港のデモから考える

人間は、私人であり公民でもあります。どちらかを選ぶわけにはいきません。結局はバランスが大事です。当たり前ですね。ところが、そのバランスに絶対基準があるわけもなく、境界はその時代や属する組織、国、そして個人の経験や価値観によって揺れ動くもの。ただ、大きな方向性のようなものはありそうです。

最近の、香港における学生らの運動とそれに対峙する香港政庁、そして背後の中国の関係を見ると、つくづくバランスを取ることの難しさを感じます。

私人には二つの側面があります。

 A)私的な欲望と欲求(安全、生存、生存競争、自己保身・・)

 B)人間としての人格(道徳、尊厳、価値観、教養、コミュニケーション・・)

公民にも二つの側面があります。

 C)市民としての公共性(主体性、権利、文化、社会的人格、礼節、正義、コミュニケーション・・)

D)国家・民族への帰属(福祉、安全、義務、規制、遵法、公的立場・・)

5年前に「雨傘運動」は、明らかにC)の市民としての公共性を求める運動だったと思います。香港行政長官選挙の改正が発端でした。市民としての権利をD)守りたい市民と国家(香港政庁と中国共産党)との軋轢でした。

当初は一般市民も学生らを支援していましたが、やがて長引くデモや道路封鎖によって一般住民の経済的損害が多くなりA)、彼らの支持が離れていき、結果としてD)国家が勝利したと言えます。

雨傘運動では、市民としての活動であったため、一応組織だった活動でした。組織が存在するということは、組織分裂の可能性も必然的に存在し、そこを国家に付け込まれてしまい、それが市民の支持を失うきっかけにもなったと想像します。

香港警察は8月30日朝、2014年に香港で民主的な選挙制度を求めた大規模デモ「雨傘運動」の元学生リーダーの黄之鋒氏(22)と元幹部の周庭氏(22)を拘束した。 (毎日新聞より)

ところが、今回の逃亡犯条例に端を発した運動は、市民としての権利C)というよりも、香港の人々の私的な欲求A)、つまり生存権を侵害されるのではという恐怖に基づく運動に見えます。香港市民が何らかの理由で逮捕されて、中国に移送されて中国で裁かれる。理由など何とでもなると考えるほとんどの人々は、自分の生存も脅かされるかもしれないと考えても不思議ではありません。従って、今回は自然発生的な運動であり、リードする組織を持ちません。(それを可能にしたのはSNSです)

私人が自らの長期的な生存欲求を守りA)、また自分の尊厳や価値観を追求することB)を目的としています。一部のデモをする学生は、自分の卒業や就職にダメージを与えることA)を覚悟で、結果として未来の市民の権利C)のために戦っている。

一般市民もそれを理解しているが故に、短期的には多少経済的損失A)があろうとも、学生らを支持し続けているのだと思います。

一方の国家の側は、雨傘運動時と同じスタンスで抑え込もうとしています。大衆に対して、「市民としての安定を守る」、「それを妨げるものには力で制す」というスタンスです。公民にはそのメッセージが届いたでしょうが、今や相手は公民よりも私人の側面が強く出ている人びとなのです。

いよいよ、警察が学生に実弾を発泡する事件にまで至りました。それは、たとえどんな理由があろうとも、香港の人びとにとっては、私人の生存権や尊厳への挑戦と映るでしょう。

1日、香港でデモ参加者(左)に向けて発砲したとされる警察官の映像(香港大学生会Campus TVのフェイスブックから・共同

中国共産党は、天安門事件以降はD)を前面に押し出すとともに、カネという私的な欲望を満たさせることA)で、私人と公民のバランスを取り、一応の成功を収めてきました。しかし、香港はあの頃の中国とは異なります。金銭的な私欲A)はある程度満たされており、また市民としての権利C)も体験している(イギリスの統治下ではありましたが)。

公民と私人のバランスがリアルに試されているのが今の香港、そして中国共産党だと思います。

「あいちトリエンナーレ2019」を観て

9/24、大阪出張の帰りに名古屋で途中下車し、「あいちトリエンナーレ」を観てきました。時間がそれほどなかったので、メイン会場である愛知芸術文化センターだけでしたが。

平日の午後だったせいか、会場全体は閑散としており、その分じっくり作品に触れることができました。印象としては全展示作品の内2割程度は、「表現の不自由展・その後」の展示中止に抗議した作家の意志により、観ることができませんでした。

しかし、閉ざされた入り口には、作家による展示中止の理由を書いた文章が、丁寧に掲示されていました。また、展示中止にも関わらずスタッフついていました。

手書きのポストイットは、「身の回りにある差別」というテーマについて、観客が書いて貼ったもの。

あまり他の客がいないこともあり、私はそこに座っているスタッフにできるだけ話しかけるようにしました。ほとんどのスタッフは、展示中止になったことを詫び、残念がっていました。また、積極的に作家の意志表明文を読むこと促してくれました。中には、こっそり閉ざされたドアをほんの10cmくらい開けて、本来の展示はこうだったと説明してくれるスタッフもいました。皆さん、本当にいろいろ言いたいことはあるのでしょうが、じっと堪えているように見えました。

素晴らしい作品もたくさん展示されていましたが、このようなスタッフとコミュニケーションを、わずかとはいえ取れたことが、私にとっては最も心を動かされる「アート作品」だったと言えます。アートとは、既存の思考や感覚の枠組みに揺らぎを与え、それまでとは(少しであっても)異なる自分自身に変身させてくれるものだと思っています。そういう意味では、今回の「あいちトリエンナーレ2019」は、存在そのものがアート作品になった(なってしまった)のではないでしょうか?

「表現の自由」について、ここまで日本社会で議論になったことは、近年なかったでしょう。どういった理由であろうとも、社会で建設的な議論を巻き起こすことはとても大切なことです。そのためには、象徴的なもの、あるいは「出来事」の存在が必要です。

「表現の不自由展・その後」で展示されるはずだった作品群がまさに、その「象徴的なもの」だったのでしょうし、結果的に起きてしまった今回の騒動が「出来事」だった。一昨日、10/6遅くとも10/8には「表現の不自由展・その後」の展示再会を目指すことが報じられました。見たくないものも正面から見据えて、そして多様な意見が建設的に交換できる社会になればいいなと思います。

最後にひとつ作品を紹介します。加藤翼の「2679」という映像作品。

(解説文)ロープで互いに 拘束された状態で演奏する3名の和楽器奏者の様子が記録されています。各 演奏者はそれぞれ、英国と日本、ニュージーランドと日本、朝鮮と日本というルーツを持っていて、実際に多様なルーツを持つ人々が暮らしている日本の状況が想起されます。拘束された状態での演奏は、SNSなどのテクノロジーによって相互監視状態が生まれ、むしろ自己規制が自動的に促進されている今日的な社会状況のようにも見えます。 (https://aichitriennale.jp/artwork/A34b.html

思考の枠をはずす

以前書いた( http://www.adat-inc.com/fukublog/2019/06/post-567.html )某大企業の新任役員研修が、先週金曜の社長プレゼンで終了しました。要約すると、新任役員に約二ヶ月かけて、グループでアウトプットを作成させるというもの。6グル―プあり、3つのテーマをそれぞれ2グループが担当し競わせる。そのテーマは、「歴史認識」、「社会と経済の構造変化」、「日本の生産性」という、非常にチャレンジングなものでした。

忙しい中、各グループ毎週のように集まり議論を進めてきたそうです。そして、金曜に社長に対しプレゼンし、それに対する他グループからの質問に答え、テーマごとに最後に社長がコメントをされました。

結論から言えば、どのグループも社長の期待には応えられたように見えました。サポートしてきたものとして、安心しました。

社長のコメントは、細かいロジックや細部にはほとんど言及せず、視座の高さと着眼のユニークさに注目していたようでした。各メンバーは普段の仕事で使う脳とは異なる部分を鍛えあげたようで、その様子が発表や質疑応答から垣間見られたのでしょう。

もともと本研修の目的は、経営者としての視座に引き上げることだったので、それは達成されたと判断されたのだと思います。

ただ、一言で「視座を上げる」とよく言いますが、その実態はなかなか理解できません。従って、研修で上げさせることは容易ではありません。だからあえて社長は、これらの非常に曖昧で難易度の高いテーマを指定したのでしょう。受講者自身も社長の意図を理解し、その上で達成感も味わっていたようでした。

人がこれまでの経験から形づくってきた視座、すなわち思考の枠をはずすことは、本当に大変なことなのです。それに挑んだこの会社(特にメンバー)は大したものです。

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その翌日(一昨日)、私は朝から国立能楽堂に向かいました。もともとその日の午後、梅若実師がシテをつとめる「卒塔婆小町」を観ることになっていましたが、前日の金曜、友人で能楽師の宮内美樹さんから、その公演を絡めた学びの会がその日あるからと誘っていただき、急遽参加することにしたからです。

その会とは、ある30代半ばの女性が能を観ることが大好きになったのに、なかなか一緒に観にってくれる友達がいないので、友達を能好きにしてしまおうと始めた集まりだそうです。

ユニークなのは、ただ能を知識として学んだり観たりするのではなく、能と何かを掛けあわせて議論することです。その前提として、能は現代の凝り固まった思考の枠組みや限界をはずしてくれるものとして位置づけています。だから、「現代脱出塾」と銘打っています。9/28は、「美」を切り口にして、能を使って現代(すなわち思考枠組み)脱出を試みようとの狙いでした。

国立能楽堂とも連携しており、普段入ることのできない稽古用能舞台を会場として使用。参加者13名は、主宰者以外はほとんど能を観たことがない20代から30代の若い方々でした。

午前中は宮内さんのレクチャーです。「能とは?」から始まり、能面を見比べたり、午後観る「卒塔婆小町」の内容や観方を聞き、舞台上で扇子を持っての「構え」の練習迄・・。その間、いつでも質問OKで、非常に中味の濃いレクチャでした。

そして13時より観能。終演後、また稽古用舞台に集まって振返りセッション。

そこでは、ひとり一人順番に感想を述べ合いました。私は、初めて観る能が「卒塔婆小町」というのは、かなりハードルが高いのではと思いました。ただでさえ難しいと言われる能の中でも、特に動きが少なくエンタテイメント性も低い難解といわれる老女もののひとつです。

しかし、参加者の語る感想は、とても面白いものでした。ほとんどの方が、左脳で能を理解しようとするのではなく、感性で理解しようとしていたからです。自分が得意な「ダンス」や「バスケットボール」を使って能を感じ取ろうとする人もおり、それぞれの方法で能を感じ取り、楽しみを見つけているようでした。

やはり若いだけに思考の枠が固定化されておらず、柔軟に枠を動かすことができるのでしょう。私も同世代の友人に、何度も能の面白さを伝え、観ることを誘ったりもしたのですが、なかなか好きになってくれる人はいません。その時に感ずる「壁」は、思考の枠だったのでしょうね。

能もビジネスも、経験豊富で思考の枠組みが固定化されてしまった人を変えることは容易ではありません。そこにエネルギーを使うよりは、まだ枠がはっきりできていない若い方々に働きかけたほうがずっと生産的だと、この二日間でつくづく思いました。

(とはいえ、主に社会を動かしているのは50代以上であることは事実で、そこへの働きかけも重要であることは言うまでもありません)

書「半夏生」

もう季節外れになってしまいましたが、6月の初めに松田正平による「半夏生」と書かれた書を手に入れました。

松田正平はもう15年前に亡くなってしまいましたが、ずっと前から好きな画家です。2年前の春、修善寺の「あさば旅館」に泊まった時、偶然にも泊まった部屋の床の間に、松田正平の書「大空」が掛け軸としてかかっていました。

それまで松田の絵画は何度も目にしていましたが、その時初めて実物の書を、十分時間をかけて観ることができたのです。何とも言えない味があって、絵も素晴らしいけど、書も魅力的で見惚れてしまいました。この書のおかげで、あさば滞在も豊かなものになった気がします。

その後、松田の書を探していたのですが、なかなか巡り合いませんでした。そして、6月にたまたま立ち寄ったギャラリーで、松田正平の書を中心とした個展に出会ったわけです。いくつかの書が展示されていましたが、迷いに迷ってこの「半夏生」を選びました。

恥ずかしながら、それまで私は「半夏生」(へんげしょう)という言葉を知りませんでした。以下を、「暮らし歳時記」から引用します。

夏至(6月21日頃)から数えて11日目の7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間を半夏生といいます。田植えは半夏生に入る前に終わらせるものとされ、この頃から梅雨が明けます。

「半夏生」は気候の変わり目として、農作業の大切な目安とされています。

田植えは「夏至の後、半夏生に入る前」に終わらせるものとされ、それを過ぎると秋の収穫が減るといわれてきました。

また、「半夏生」という名前の草もありますが、七十二候でいう「半夏」とは別の植物です。名前の由来は、半夏生の頃に花が咲くからとする説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」と呼ばれたのが「半夏生」になったとする説などがあります。また、古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれています。

http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/zassetsu/hangeshou/

ギャラリーのオーナーから同様の内容を教えていただいたのですが、何とも言えず美しい言葉だなと感じました。

この書はオーナーの目の前で松田が書いたものだそうで、松田は「はんげしょう、はんげしょう・・・」と口の中で転がして、「いい響きだな」と語ってから、それを書いたのだと教えてくれました。

ところで、私は今回初めて書を購入しました。あらためて、書に向かい合ってみると、絵画のようでもあり、そうでもないという不思議な印象を持ちました。

漢字は象形文字ですので、絵画的要素はもちろんあります。しかし、絵画と異なるのは作家と作品を生み出す時間を共有する感覚です。漢字には書き順が定められており、作家もその書き順で書いたはず。書を見ながら、頭の中で書き順に従って文字をなぞっていきます。書ですから、力の入れ具合や、筆の運びも何となく想像できます。そうすると、自分と松田正平が一体となり、同じ時間を過ごしていくような気分になるのです。作家と一体となった至福の時間、それを書によって味わえる感覚。

作家の時間を再現し共有できるという意味では、書は絵画よりも、音楽に近いのかもしれません。

音楽を味わうように書を味わう。偶然の松田の書との出会いから、世界が少しだけ広がったような気がします。

伊勢神宮 能楽奉納 (2/2)

内宮神楽殿で御神楽を奉納(初穂料を納め、それによって御神楽を神様に奉納するので、我々が奉納したことになるのだろう)したあとで、いよ

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いよ天照大御神を祀る正宮(正式名称は皇大神宮)を参拝。2013年に遷宮がなされたので、建築後6年です。建物はもうかなり古びた味わいのようなものを醸し出していました。

階段の下からまでしか撮影できないので、右はそこからの写真です。正宮の中心となる正殿は、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重もの垣根で囲われています。一般参拝者は、板垣と外玉垣の間までしか入れません。私たち社中は、玉串料を納めることで、もう一段階内側の内玉垣の外側まで入ることができました。

外玉垣の内側には、玉砂利というには大きすぎる、15cm~20cmもあるグレーっぽい丸石が敷き詰められています。そこを歩くのは、かなり大変。正装でなければなりませんが、ヒールのある靴では危険です。興味深いのは、神様に正対する場所の石は、すべて真っ白。これは、全ての別宮も同じ。

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我々は、中重鳥居の後方あたりに整列。代表の観世喜正師が中重鳥の下あたりに進み出て、全員揃って二礼二拍一礼。そして、またしずしずと外玉垣を出ました。

お垣内参拝(外玉垣の中に入っての参拝)を終えて、いよいよ参集殿での能楽奉納です。10時15分の開始時には、客席は満席で立ち見もでるほど。地元の皇學館大學の学生による仕舞から始まり、観世喜正師による半能「逆鉾」が奉納されました。半能とは、能の後半だけを演じるものです。逆鉾のシテ(主役)は瀧祭明神であり、内宮の別宮である瀧原宮が、その神様を祀っています。先生は舞台を終えた後で参拝してきたそうです。

半能の後で、多くのお客さんは帰っていきました。仕方ないでしょう。その後、15時半ごろまで、弟子の舞台が入れ替わり続きます。途中13時頃、大連吟を行いました。大連吟とは大勢が舞台に座り、声を合わせて一斉に謡うものです。40人以上で「絵馬」の最後の部分を謡いました。「絵馬」は、伊勢神宮の斎宮が舞台で、最後には天照大御神と天鈿女命と手力雄命が現れ、天の岩戸隠れの故事を再現するというもの。その部分を大連吟したわけです。とてもアップテンポでついていくのが大変でしたが、要所では後方に座る先生がリードしてくださるので、何とか無事謡い終えることができました。これも得難い経験です。

ところで、私の仕舞の出番は最後から三番目。ほとんどの方は、出番を終えて、着替えもすましリラックスしているのに、待たされる私の緊張はずっと続きます。いやなものです。この能舞台での稽古をする時間は一切ないので、床の感触などは本番までわかりません。

私の演目は、「雲林院」です。舞台は京都の雲林院ですが、シテは伊勢物語の主役といわれる在原業平の霊。なぜ伊勢物語と呼ぶかには諸説あるそうですが、現在は第69段の伊勢国を舞台としたエピソード(在原業平と想定される男が、伊勢斎宮を連れだし密通してしまう話)に由来するという説が最も有力視されているとのこと。

私が仕舞で舞う部分(クセ)は、在原業平が二条の后を連れだし逃避行する場面です。連れ出すのは斎宮ではありませんが、伊勢神宮で奉納するにはふさわしい曲とも言えそうです。(演目を決めるときは、そこまで考えていませんでした)

また、その直前にみた御神楽の人長舞の装束が、ちょうど私が舞うパートで語られる在原業平の装束と似ていたので、イメージが湧きました。

そして出番。喜正師と中所先生が地謡で座る前に進みて、片膝座り。「きさらぎや」と、シテ謡いをし、立ち上がりました。舞台では眼鏡を外すので、遠くが見えません。見えない方が、気楽とも言えます。床のすべりが、普段稽古している床と違って滑らないので、なかなかすり足で前に進むのが難しい。でも、出番を終えた方から、その情報を得ていたので焦ることはなく、なんとか大きなミスはなく終えました。終わった時は、汗びっしょり。

終演後、バス出発まで1時間くらい余裕があったので、おかげ横丁の赤福

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へ。その頃には雨が止みかなり蒸し暑くなっていましたから、舞台を終えた解放感も加わり、本当に美味しく赤福氷(赤福餅の入った抹茶かき氷)をいただきました。

伊勢神宮 能楽奉納(1/2)

毎年恒例の能の発表会、今年は伊勢神宮の内宮参集殿能舞

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台にて、7/7(日)に行いました。我々の先生である観世喜正師が、神様に能楽を奉納するというのが正式な名目であり、その後で素人弟子もついでに奉納という名の発表会を行うというわけです。

なにせ、場所が伊勢神宮ですから、これまでの地方での会とは趣が大いに異なります。これまで、昨年の名古屋能楽堂から溯り、彦根城、佐渡、京都観世会館と場所を変えて実施してきました。いずれも夏だったので浴衣に袴の衣装でよかったのですが、今回が紋付袴です。

7/6(土)早朝に東京駅に集合、そこから団体行動です。団体旅行には慣れていないのですが、ここは添乗員付き旅行にどっぷりつかります。総勢40人くらいの団体です。

お昼すぎに宇治山田駅に到着、バスでおかげ横丁へ。そこで自由行動となり、各自昼食。てこね寿司を食べに「すし久」へ。おかげ横丁全体もそうなのですが、古い建物を利用しており、いわゆる観光地の「・・・横丁」「・・・通」とは一線を画していました。「すし久」も、江戸時代の旅館の風情を残しており、弥次喜多道中にも出てきそうな雰囲気。

その後、バスで外宮へ。伊勢詣ででは、外宮のあとに内宮を参拝するのが決まりだそうです。私は初めての伊勢神宮だったので、少し勉強していきました。

伊勢神宮とは、正式名称ではなく、正式には「神宮」です。「The神宮」です。日本全国にあるあまたの神宮は、●●神宮と呼びますが、その総本山である伊勢には●●は不要なのです。皇族に苗字がないのと近いかも・・。

その神宮は、内宮と外宮、それから14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社によって構成される一大組織です。もちろんその中核が、皇室の祖先といわれる天照大御神お祀りする内宮です。正式には、皇大神宮といいます。

外宮は別の神様をお祀りしています。それは衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神です。だから正式名称は、豊受大神宮です。

内宮と外宮それぞれに正宮があり、20年ごとに遷宮されます。なので、正宮の隣には必ず旧正宮の跡地が更地になっています。

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さて、外宮正宮を参拝し、その後、近隣にある別宮(土宮、風宮、多賀宮)も参拝。どれも正宮の縮小版のようで、遷宮するため隣に更地が残っています。

ちなみに、外宮の勾玉池には池にせり出した能舞台があります。以前は、ここで能楽奉納をしていたそうですが、3年前の台風で被害にあい、現在は閉鎖されています。

外宮を出たバスは、二見ヶ浦で夫婦岩を拝んだ後、ホテルへ到着。夜の宴会を経て初日日程終了。翌日舞台にも関わらず、結構皆さん羽目を外しておられました。

7/7(日)は早朝7時半にホテルを出発し内宮へ。お垣内参拝をしるため、全員礼装に準じた服装です。私は濃紺のスーツにネクタイ。普段着と羽織袴に加え、スーツも持参と、なかなか大変でした。

内宮は、五十鈴川に面して配置されており、水との関わりが深いことが感じられます。我々が奉納という名目の発表会を行う、内宮参集殿に荷物を預け、内宮神楽殿に向かいます。そこで、祝詞をあげていただき、そして神楽を拝見するのです。

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神楽殿の中では、全員正座です(畳敷きとはいえ、これが結構つらい)。4人の舞女が、ご神前(奥の台座)に神饌(神様のお食事)を順々においていきます。その後、神職が祝詞を奏上。そして、その後に、いよいよ御神楽が奉納されます。

後で知ったのですが、神楽殿で奉納される御神楽は4段階あり、私たちは最上位の特別大大神楽を奉納しました。当然初穂料が異なります。

 ・御神楽        [倭舞]

・大々神楽    [倭舞・人長舞]

・別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽1曲]

・特別大々神楽[倭舞・人長舞・舞楽2曲]

雅楽の調べとともに、4人の舞女が群舞。その後に、一人ずつ男性が舞い、4人続きます。いずれも、とても鍛え抜かれ、洗練された舞でした。舞を含む雅楽には単調で退屈なイメージを持っていましたが、全く見方が変わりました。厳かな美しさとでもいいましょうか、動きの激しい舞も一部の隙もなく、突き詰められた緊張感が漲りエネルギーを発します。こうした舞楽が、生きたまま千年以上伝わっていることに感動します。とても贅沢な体験でした。

それぞれの特徴は、とても私では説明できないので伊勢神宮HPから転載します。

倭舞:

倭舞は清和天皇の御代から宮中の儀式で舞われています。本来は男子4人の舞ですが、神宮では明治時代に乙女舞に改められました。舞人は舞女が緋色長袴に、白い千早をつけ、紅梅をさした天冠をいただき、右手に五色の絹をつけた榊の枝を持って、楽師の歌にあわせて舞います。舞振りは優雅で歌に伴奏する和琴、笛ふえ、篳篥、笏拍子の調べは、単調ながらも幽玄な余韻があります。

人長舞:

宮中の御神楽の中に「其駒」という曲があり、神楽人の長が舞うので「人長舞」といいます。舞人は葦に千鳥模様を青摺にした小忌衣をつけ、手には御鏡を模した白い輪のついている榊を持ち1人で舞います。舞振りは落ちついた神々しいもので、いわれもめでたい歌舞として尊重されています。倭舞には現代的な華やかさがあるのに対し、人長舞は上代的な幽玄さがあるといえます。

舞楽:

雅楽には、日本で古来歌われてきた国風歌舞(くにぶりのうたまい)、5世紀から10世紀にかけて中国大陸や朝鮮半島、また林邑ベトナム、天竺インドなどから渡来した外来音楽、11世紀ごろ日本の宮廷で流行した朗詠・催馬楽という3種類の歌曲があります。

国風歌舞には、神楽歌・倭舞・東遊(あずまあそび)などがあり、特徴として歌に舞を伴い、和琴・笏拍子などの楽器を伴奏に用います。

外来音楽は一般に雅楽と呼ばれるもので、中国大陸から渡来したものを唐楽(とうがく)といい、朝鮮半島から伝わったものを高麗楽(こまがく)といいます。唐楽には笙・篳篥・龍笛・羯鼓・太鼓・鉦鼓など、高麗楽には高麗笛・篳篥・太鼓・鉦鼓・三ノ鼓などの楽器があります。唐楽・高麗楽を伴奏とする舞を舞楽といいます。唐楽の舞は左舞と呼ばれ、赤色を基調とする装束を着けて舞うのに対し、高麗楽の舞は右舞といい、青色を基調とする装束で舞います。