「情動はこうしてつくられる」を読んで

2007年に「定量分析 実践講座」という本を書きましたが、その中で意思決定の三要素として、合理性と感情と価値観を挙げました。どれも大事だが、本書は合理性に絞って意思決定を学びましょうというものでした。

その後、月日が経つにしたがって、合理性よりも感情や価値観の方が遥かに大きな影響力を持っていると感じるようになりました。齢を重ねるというのは、そういうことなのでしょう。

意思決定とは、情報処理でいえば最終工程です。そこで使われる合理性とは、極論すれば誰もが同じ判断に至るためのツール。最終工程では、他者とは差がつかないということになる。

現実は異なり、差はつきます。なぜか?それは意思決定という認知活動の、前工程である「知覚」活動に差がつくからです。知覚とは、眼や耳といった外部からの感覚刺激を脳で統合して「意味」をつくることです。統合する際は、外部刺激の他、内面からの刺激、すなわち経験や知識といった記憶も合流します。脳は、内外の区別をつけることはなく、同じ種類の情報として扱います。

つまり、流入する情報が仮に同じだったとしても、受け入れる人によって全く異なる意味をつくりあげても不思議ではないのです。(いかに目撃証言がいい加減か!)

このような知覚のプロセスにおいて、情動(感情)が大きな影響を及ぼすことは安易に想像できます。では、情動はどのようにして生まれるのか?

かつては、脳には各情動に反応する部分があり、外部刺激がそこに到達し反応、その情動が生まれると考えられてきました。人間を機械に見立てると、そう考えたくなります。しかし、近年の脳科学の発達で、そうではないことがわかっています。

「情動はこうしてつくられる」から、以下に私なりの理解を書きたいと思います。

情動の前段階で、「気分」がつくられます。気分とは、無意識に身体が行う調整機能によって形成されます。人は無意識に呼吸をしますし、緊張したりもします。こうした無意識反応は、刺激に対して人が生命を効率的に維持するために、勝手に体が作用するものです。こうした無意識の作用を「内受容ネットワーク」が司ります。こうした体の反応の結果生まれるのが「気分」です。気分は、快・不快と覚醒・未覚醒の2軸で整理できます。例えば、不快で未覚醒は、無気力や落ち込んだ気分となります。コロナ禍で外出できず、天気も悪かったりするとそんな気分にもなります。

さて、そうした気分が情動に影響を与えます。気分を受け取った脳は、勝手にその原因を探ります。さまざま可能性が芽生えます。コーヒーを飲み過ぎた、嫌な奴から電話がかかってきたなどなど。思いつく原因もさまざまに分類できますが、分類するにはそのための概念が不可欠。その概念がなければ、分類もできずそれを説明する情動も生まれない。そうした概念とは、過去の経験によってつくられたものです。

こうして現在の状況、文脈にとって最も可能性の高そうな概念基づき情動が選ばれ、つくられます。(ここで作用するのが「コントロールネットワーク」)つまり、情動は脳がつくりあげた意味なのです。つくりあげた意味に基づき、ヒトは行動し、意思決定もするのです。

こうしたことがわかれば、意思決定の質を上げには、まず知覚の質を上げることが重要だとわかります。そのためには、

 ・気分を整える

 ・さまざまな情動概念を持っておく

 ・さまざまな経験を積んでおく

といったことが役立ちそうです。

ただそれ以上に、上記のメカニズムを理解しておくことで、自分の現在の情動を客観的に認識することを習慣づけることが大切だと思います。なんで今、自分はこんなにイライラしているのか、そんな気分を招く刺激はどこから来ているのか?この悲しみは、どんな刺激や経験、過去の記憶から生まれ出ているのか?なぜコントロールネットワークは「悲しみ」を選択したのか?

こうした思考を常に持つことです。

意味の生成(情動も含む)とは、与えられた情報を超えるものです。超えたところに人間性の違いが出る。だから人間は面白いともいえるのではないでしょうか。

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