映画「三島由紀夫VS東大全共闘」にみる一流の知性 

私にとって三島由紀夫は伝説上の人間でした。しかし、この映画を観て、生きた人間としての三島を生々しく感ずることができました。

1969年5月13日、東大駒場900番教室に1000人以上の学生が三島との討論に集まった。三島は、いわば1000人の敵の中にたった一人で乗り込んだようなものです。まず、その勇気に敬服します。

また、三島を討論会に招いた東大全共闘も大したもの。その年の1月に有名な安田講堂陥落があり、学生運動の敗北が顕在化しつつあるこの時、学生らは暴力ではなく討論で運動を続ける道を模索していたようです。だから、三島を招いた。直球勝負です。

さて、会場の三島はそれなりの覚悟をしてきているのでしょうが、学生らに比して余裕が感じられます。TBSのTVカメラ撮影班と新潮社のカメラマン(一人)が入っていますが、三島は彼らがいい映像を撮れるように配慮しているようにも見えます。

また三島の演説は言語明瞭かつ、できるだけ理解しやすい言葉を選んで話しているように感じます。一方の学生側は、やはり上すべりな借りてきた言葉が多いように私には思えました。三島は自分を卑下するようなユーモアを駆使して、学生を引き寄せようとします。言葉で打ち負かせようとか、相手の揚げ足を取ろうとか、そういう下賤な語りは一切ありません。学生らを揶揄するどころか、敬意すら感じさせます。

学生が発言しているときは、じっと真剣に聞き入ります。カメラはその目の動きも捉えていますが、本当に相手の発言を理解しようという目でした。

三島は言います。
「諸君が安田講堂の立て籠もっているとき、一言『天皇』と発してくれたら、僕は諸君らのもとに駆け付けた。」

最初この言葉を聞いたときは、一種のリップサービスだと思いました。しかし、映画が進むうちに、その言葉は真実だと確信しました。

三島は全共闘のことを、意見が異なるところはあるが、根っ子では通じる部分があると信じていたのだと思います。だから、「言い負かす」ために来たのではなく、「共闘する」ために来たのでしょう。何と闘うのか?それは、いい加減で自分のことしか考えない現在の日本及び日本人に違いありません。

だから、討論は熱くはなりますが、そこにはお互いへの敬意があります。さらに、ユーモアも。東大全共闘きっての論客といわれる芥氏は、愛娘を抱きかかえながら熱弁をふるいます。その姿を見る三島の目には優しさが。緊張となごみが絶妙のバランスを取って、その場が成り立っているようです。

この討論会を企画した東大全共闘の木村氏は、後日三島にお礼の電話を入れたそうです。その時、木村は「君、盾の会に入らないか?」と誘われ、どう答えていいものか困っていたところ、「近くに誰かいるのか?」と鋭い質問。木村の将来の奥さんがそばにいたのです。電話を代わってほしいと頼まれ彼女に代わったところ、5分くらい二人で話し込んでいたそう。彼女に何の話を三島としたのか尋ねても、ずっと答えなかった。ようやく、つい最近奥さんはこう告げました。「三島さんが、彼を愛しているのか?と聞くので、はいと答えました。」

その約一年後、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で盾の会メンバーの森田必勝の介錯で自決。森田もすぐ後を追った。

映画の最後に、「熱情」と「敬意」と「言葉」がそこにはあったとのナレーション。まさに、今ないものがそこにはあったのです。

ところで、自決した森田を右翼運動に引き込んだのは鈴木邦男です。鈴木を追ったドキュメンタリー映画「愛国者に気をつけろ!」では、鈴木が毎年森田の命日にお墓参りをしている姿を映していました。映画の中で鈴木はこう言っていました。

「思想が違っても話し合える相手はいる。そういう人と話すことで自分が成長できる」「自分が正しいと信じる人は間違う。絶対正しいということなどない」

「熱情」と「敬意」と「言葉」、忘れてはなりません。


さすがというしかない。

奄美大島で考えた「人間と自然」

新型コロナウィルスは、野生動物から感染が始まったといわれています。人間の自然に対する傲慢なおこないが、自然界からの逆襲にあっていると言えなくもありません。

そこで思い出すのがゴジラ。ゴジラは、原水爆実験により太古の眠りから呼び覚まされ、人間に対して逆襲するのです。

その映画ゴジラの撮影がなされた奄美大島の金作原原生林に、先週末行ってきました。 金作原原生林は亜熱帯性の木々が生い茂り、なるほどゴジラにふさわしい場所です。認定エコガイドと一緒のツアーでしか、その原生林に入ることはできません。

巨大なヒカゲヘゴ(樹ではなくシダです)
樹齢150年以上の椎の木

ガイドの解説により、目の前の風景が時間的、空間的に広がったものに感じられることが不思議です。知識はこうした五感と結びつくことで、適切に意味されることが体感できました。

さてガイドの解説で興味深かったのは、奄美大島の成り立ちの歴史と動物の関係です。奄美大島は1000万年前までは大陸と陸続きでした。そして約200万年前、 奄美大島、徳之島、沖縄島を含む中琉球が大陸から隔離されます。

かつては近隣地域にも分布していた種(系統群)が絶滅していく中、新たな天敵(捕食者)やライバル(競争相手)が越えられない海峡で隔てられた島嶼にだけ種が生き残りました。 隔離により種分化し、島独自の環境へ適応し固有種へと進化しました。

ハブは沖縄-奄美大島-徳之島には生き残っていますが、海峡をはさんだそれより北にはいません。 アマミノクロウサギは、かつては大陸にもいたのでしょうが絶滅し、奄美大島と徳之島だけに生き残りました。奄美大島には鹿や猿などの大型動物はおらず、生物連鎖の頂点はハブだったので、ハブから逃れる術を身に付けたことで生き残ったのでしょう (ハブや夜行性でマングースは昼間活動します )。最も原始的形態を残したウサギといわれています。

アマミノクロウサギの剥製

しかし人間にとっても、ハブは恐ろしい生きものです。そこで、ハブの天敵といえばマングース。1979年に30頭のマングースが島に放たれました。ところが一向にハブは減りません。マングースは昼間活動するので、夜行性のハブと決闘することなく、代わりにアマミノクロウサギを食べていたのです。おかげでマングースはどんどん増え (2000年頃には約1万頭) 、アマミノクロウサギは激減。

連れてこられた可哀そうなマングース

そこで、2005年にマングースバスターズが結成され、現時点ではほとんど駆除されたそうです。おかげで、アマミノクロウサギは増加しているとのこと。ツアーで見ることはできませんでしたが、道の脇の糞は見ました。草むらでなく、開けたところで糞をするのは視界が開けていた方が安全だからだそうです。

しかし、新たな敵が現れています。それは人によって捨てられた野良猫(現地ではノネコ)。従って、現在はノネコの駆除が、保護活動の中心になっています。

このように、生態系はとてもデリケートなもので、そこに軽はずみに人間が介入することで、簡単に崩れてしまう。 人間は自然に対して、もっと謙虚になるべきでしょう。

ノネコ、アマミノクロウサギをハント

そして、もうひとつ教訓があります。問題を解決すべく人間が考えて行う施策には、必ず他への波及効果がある。時間的にも空間的にも因果関係が複雑に絡み合う。そうした波及効果をある程度見越したうえで総合的な判断をすべきです。しかし、全ての波及効果まで見通すことは不可能。ただ、不可能だと認識したうえで、今何をすべきかを決めるのと、短絡的に「釘が出ているので打とう」とするのでは、自ずと結果は異なるはず。また、全体は把握できないとしても、クリティカルポイントのあたりはつけられるかもしれない。

そうした人間の英知や見識を、今のような不確実性の真っただ中では大切にしたいものです。