「黒川能」を読んで

能に関わっている人で、黒川能を知らない人はいません。プロの能楽師も、真冬の雪深い庄内、黒川を訪れて。住民によって徹夜で繰り広げられる能と狂言を堪能しています。

黒川能は、村の春日神社への奉納として、500年以上にわたりひそやかに伝えられてきたものです。 500年以上とは江戸時代より前、つまり江戸幕府により式楽となるより前の、能の姿を留めているのです。室町時代、世阿弥によって完成された能は、江戸幕府の庇護の元で、その姿は変わっていったと考えられます。それ以前の原型が黒川に残っている、能の正倉院ともいえる存在なのです。だから現在の能楽師も足を運ぶのです。

その今では有名な黒川能も、半世紀前迄はほとんど知られていませんでした。あくまで奉納ですから、外部に対して開くことには抵抗があったのです。

その壁を切り開いたのが、著者の船曳由美さんです。昭和39年のことでした。当時まだ平凡社入社三年目の船曳さんが、写真家の薗部さんと約一年以上黒川村に通いづめ、村人の信頼を得て、雑誌「太陽」昭和41年2月号で発表。そこから知られていったのです。

船曳さんとは以前からご縁をいただいており、黒川能を最初に広めた方だとは存じていましたが、この本を読みその偉大さがはっきり理解できました。

私は2016年2月1-2日の 王祇祭(おうぎさい) を観に行ってきました。 王祇祭は、上座と下座によって同時に別の場所(当屋)で夜を徹して演能されます。事前に郵便で申し込む際に、どちらかの座を選ぶ必要がありました。その頃、たまたま船曳さんに会う機会があったので、「どちらの座を申し込んだらいいと思いますか?」と迂闊にも質問してしまいました。すると、船曳さんは、「あらっ、黒川能に関する文献は読んだの?全て読んでから質問にいっらっしゃい」とピシャリ。今回この本を読んで、いかに自分が愚かだったかをあらためて認識させられました。

さて、当屋に王祇様を迎えて明け方まで能を続けた後、二日目は春日神社での奉納となります。そこで、当屋で能を楽しんだ王祇様を、早朝に春日神社にお戻ししますが、そこにも仕掛があります。それを朝尋常といって、上座と下座が 石段を駆け登り、王祇様をどちらが早く春日神社内にお入れすることができるかを競うのです。 以下の動画はその時(2016年2月2日)に撮りました。上座が勝利し、大喜びする姿が微笑ましかった。

ところで、船曳さんには「百年前の女の子」(2010年、講談社)という、お母様から聞いた話をもとに書いた素晴らしい著書があります。

そのお母様とご本人が、モデルとして登場する小説があります。庄司薫著「赤頭巾ちゃん気をつけて」です。私も高校生の頃読んだ、思い出深い作品です。その中で、主人公の高校生・薫クンの女友達に由美ちゃんという女の子が出てきます。(由美ちゃんのママも)。そのモデルが船曳さんです。「舌咬んでしんじゃう」と由美ちゃんが言うフレーズが、なぜか私の耳に今でも焼き付いています。船曳さんには、そのフレーズをしゃべったのか聞いてみたいと思いながら、いまだに怖くて聞けません。

話が逸れてしまいましたが、本書「黒川能」のなかみについては、河野通和さんのブログを読んで下さい。私が書くよりも100倍わかりやすいですから。

河野さんも書かれていますが、「あとがき」も秀逸です。その中で船曳さんは、本書を「50年前の女の子」というような表現をしています。つまり、お母さんについて書いた「100年前の女の子」に対して、本書は自分のことについて書いたものなのです。黒川能を語り語りながら、50年前の自分自身をいとおしく思いながら描いている。そう私は読みました。怖くて、そんなこと聞けませんが・・・。

著者の船曳さんと(2020/2/20)

「非常にはっきりとわからない」を見て(2)

(年を越えてしまいましたが、続けます)

美術館7階、立ち止まって長い時間不思議な作品を眺めていると、美術館スタッフと思われる若い女性から、部屋の入口辺りまで下がるように促されました。そして、作品にカーテンがかけられ見られなくなりました。

さらに工事作業員らしき若い男性も加わり、彼の指示によって室内に置かれた備品?などの移動を二人で始めました。私と他のお客さん(一組)は、何がなされるのかと、片隅で見続けました。少しずつ加わる新しいお客さんも、足を止め怪訝そうな顔で見ています。

時間が経つにつれて、私は二人が意味のないことをしているのではないかと思い始めました。A地点にあるものをB地点に移動させ、その後再びA地点に戻す。

しかし、その場を離れるお客さんは多くはありません。皆、これから何かが起こるはずだと期待しているようです。ついさっきまで、私もそうでした。「これは変だ」というような声を上げる人は誰もいません。

私は、そうした他のお客さんの表情を見ることが、だんだん面白くなってきました。ちょっと趣味悪いですが。

だいぶ時間がたって、二人は 室内を最初の状態に戻しおえると、再び作品を隠していたカーテンを開けて去っていきました。

美術館に作品を観にくるお客さんは、そこに観るに値する作品があることを当然の前提としています。それに疑問が生じても、そんな自分自身の方を疑い、信じつづけようとします。そういった前提や思い込みを、思いっきりぶち壊すのが、このパフォーマンス?だったのでしょう。肩すかしに合い気分を害した方もいたかもしれませんが、私はなんだか痛快な気分になりました。

次にエレベータで7階から8階に上がり、新しい会場に足を踏み入れると、頭の中がまたしても????でいっぱいになりました。あれ??、エレベータで8階に上がったはずなのに・・・。ここ7階?目に入る会場内の様子が、さっきまでいた7階と全く同じなのです。さっき感銘を受けた針金の作品も、まったく同じ場所に同じように展示されている。よくみると、作業中のため散らばっていた箱や梯子など備品類も同じです。

これは、一階にあった備品類ですが。

そこで、再びエレベータで7階に移動し確認しました。そこはやはり同じ風景。7階と8階で、床に捨てられている紙テープの位置まで同じでした。エレベータは実は移動していなかったのか?とも一瞬考えました。パラレルワールドも、瞬間頭をよぎりました。 でも、どうやらそうではなさそう。 つまり、2フロアーに渡って、全く同じしつらえを造りこんでいるのに、間違いなさそうなんです。

フロアーごとに見える景色が異なるはずだ。 これも私の思い込み。まさか美術館でそこまでやるとは思いもよりませんでした。しかし、これも思い込み。毎日自分が、どれだけ思い込みで生きているのか、痛感させられました。人間は、眼で見ているようでそうではない。既に頭の中にあるイメージを確認するために、「見ている」のです。

しょせん私の目はいいかげん。見ても、「非常に、はっきりとわからない」のです。アートの機能のひとつは、見る人が意識していない思い込みに疑問を抱かせ、心にさざ波を引き起こすことだと思います。そういう経験はなかなかかできるものではありません。だから、アートは楽しい!

これらの作品は、「目[mé]」 という現代アートチームによるものです。本当に面白かったです。

新年のご挨拶

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

年末年始のお休みは、じっくりとものを考えるには最適の時期です。今年はこんなことを考えました。

昨年、日本も世界も混迷の中にありました。その理由の一つに、社会学でいうインスツルメンタル(instrumental)への偏重があるのではないかと考えます。

インスツルメンタルとは、合理性に基づく目的思考の行動を指します。世界は原因と結果とでできており、目的を達成するための正しい行動をすべき。未来のゴールのため、今我慢するのもやむを得ない。適切なゴールと手段が定まるのであれば、それで良かったでしょう。果たして今はどうでしょうか?

社会学者パーソンズは、その対義語としてコンサマトリー(consummatory)という造語を作りました。コンサマトリーとは、自己充足的と訳されることが多いようですが、「今、ここ」の楽しさや心地よさを大切にする考え方です。享楽的とは違います。未来のために生きるよりも今のために生きる、そうすることがよき未来に通ずる。

合理性に従うことも大切ですが、今の時代予測困難で合理性では判断できないことが多すぎます。また、現代において能力を最大限発揮できるのは、「未来のどこか」のためよりも「今、ここ」のためだという気がします。

コンサマトリーにもう少し注意をむけるべきではないでしょうか。だから、自分自身に問う。「何が楽しいか?」「どっちが美しいか?」

TDK澤部元会長が若い頃、当時の社長にこう言われたそうです。

「君はあほやから、何が正しいかをわかるのは難しかろう。ただ、君でも花や景色の美しさに感動する心はあるはずや。美しいものを求めなさい」(日経新聞朝刊2019/12/31)

澤部氏は社長時代、迷うとこの言葉を思い出して「この判断は美しいか」と自問自答したそうです。

判断基準を自分自身に求めることは厳しいことです。日々、自分の内面に向き合い、美意識を磨く。その実践をささいなことでも積み重ねることが、コンサマトリーな姿勢ではないでしょうか。因果に絡め取られずに、「今を生きる」ことは禅の教えでもあります。

人材・組織の開発支援に携わるものとして、コンサマトリーを意識していきたいと思います。それが一番楽しいはずですから。

本年も引き続きご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

2020年1月6日

株式会社アダット

代表取締役社長 福澤 英弘
fukuzawa@adat-inc.com

https://www.adat-inc.com