「非常にはっきりとわからない」を見て(1)

千葉市美術館で開催されている、かなり変わった展覧会を観てきました。

タイトルは、「非常にはっきりとわからない」。

確かに、その通りでした。はっきり言って面白かったです。ただ、私の乏しい語彙力ではそれを伝えるのは困難です。そこで、朝日新聞夕刊の「回顧2019 美術 私の3点」から転記します。

アートは人を驚かせればいいってもんじゃないが、ここまで周到に驚かせれば立派なアート(村田真 美術ジャーナリスト)

驚天動地のインスタレーション。美術館を「目」で「見る」ということはどういうことなのか、それを問い直されて、頭を殴られたような気がした。(山下裕二 美術史家)

この作品は、目(me)というアート集団によるものです。作品と言っていいのかすら、わからない。12月28日迄開催しているので、もしこれから見に行きたい方は、以降読まないでください。楽しみが激減しますので。

一階受付で係員から、床に貼られて線の内側だけを歩くことと、決してスマホで撮影しないことを約束させられます。線内はともかく、最近はSNS拡散を期待して、スマホ撮影OKの展覧会が増えていますが、ここではNG。

受付の奥のフロアは、展示のためと思われる養生作業の途中のようで、梱包道具や箱などが乱雑に置かれています。(ここだけ撮影OK)

会場は7階と8階の2フロア。そこを通り過ぎ、エレベータで7階に向かいました。エレベータを降り会場を歩くも、やはり作業の途上。陳腐な油絵と掛け軸だけが展示されていますが、箱や養生道具などが雑然と散らばっています。

一番大きな展示室に入るもそこも、同じく作業中。ただ、その奥に唯一と言っていい作品が設置されています。遠くから見るとトンボやアブにも見える二枚の羽のようなものを持つ物体(3,4cmくら)が、天井からぶら下がる数多くのピアノ線のようなものに大量に固定されています。遠くから見れば、黒っぽい雲のように見えるほどです。

近づいてよく見ると、それは小さな二本の針金のような物体が中央部でつながっている物体です。さらに一つをじっと見てみると、時計の針だということがわかりました。小さい置き時計の長短針と小さなムーブメントのようです。さらにじっと見ると、秒針もあることがわかりました。

数秒後、その小さな秒針が動いていることに気づきました。あっ、この物体だけ秒針が動いているんだと思います。そして、周囲の物体にも目を向けると、なんと他の物体の秒針も動いています。あれっ、さっき見たときは動いていなかったのに。少し離れた物体の方に移動し、じっと見てみるとやはり動いている。そうです。ほとんどの物体の秒針は動いていたのです。

私はショックを受けました。それまでは、動いていないただぶら下がっているだけのおかしな物体と思っていたのが、全部動いている。私はこれまで何を見ていたのだ!

人間の「見る」という行為のいい加減さを、突き付けられたように感じました。遠くからは個別の存在の動きは見えてない。しかし、近づいてみると個別の存在の動きは見える。だが、周囲の存在の動きは見えない。どうすれば全体の動きを見ることができるのか。私はしばらくそこに立ち続け、いろいろ試してみました。

そして発見しました!

目のピントをあえてぼかして、漠然とできるだけ広い範囲を眺めるようにするのです。多分、間抜けな寄り目になっているのでしょう。こうすると、手前にある物体もその奥にある物体も、また左右上下の物体も何となく視野に入ってきます。もちろん凝視していないのでピンボケの像です。ただ、目に入っている物体の秒針が全て動いて見えるのです。いや、動いているどころか躍動しています。驚きの景色でした。

よく見ないことでよく見える。それら物体を人間や社会に見立てることもできるのでは、という思いがふつふつと湧きあがってきました。私にとっては、もの凄い気づきです。

私は一所懸命に「見よう」としてきたけど、ほんの一部分しか見えていなかったのでは。あるいは、漠然とみんな同じだと捉えていたのだが、ひとつひとつが別個で、それぞれの異なる想いで動いているのでは。個別を理解しながら、全体も正しく把握するには、自分の能力を過信してはいけない。そうすると空回りしてしまう。力を抜いて、時には間抜けに見られるくらいの態度で他者と接することが重要なのではないか。

(1回ではこの展示の感想を書ききれないので、次回に続く・・・・)