共同幻想の力:熊本城の復旧工事から

人類が他の生き物と最も異なる点は、集団に属する個体群が一つの「核」となる何かに共感し、それに基づいて同じ思考や行動をすることではないでしょうか。だから、ひとり一人は弱い人類が、今まで生き延びる事が出来た。

その「核」は宗教であれば神ですし、民族であれば歴史、企業であれば経営理念や創業の想いだったりするのでしょう。核の力が強いほど、そこから物語が生み出され、それが集団にものすごい力を与えます。

現在、ローマ教皇フランシスコが来日中ですが、教皇に拝謁する信者さんたちの姿を見ていてそう思います。しかし、この物語は悪用されると恐ろしいことになります。戦前の日本における天皇がそうだったのでしょう。

ところで、11/23(土)、熊本県民の「核」とも言えそうな、熊本城を訪れました。2016年4月16日の熊本地震で、熊本城は大きな被害を受けました。県民の落胆は想像に余りあります。私は地震前に何度も熊本城を訪れていますが、その重厚なお城が無残な姿となっており、心を痛めました。

かろうじて持ちこたえた宇土櫓。手前の続櫓は崩壊。

私が訪れた日は、復興の節目の日でした。熊本城のシンボルともいえる天守閣には、大天守と小天守があります。どちらも大きな被害を受け、それぞれの屋根のしゃちほこも崩落しました。しかし、いち早く復旧を進め、小天守西側のしゃちほこを除く3体は既に設置が完了していました。

大型クレーンでしゃちほこを小天守に設置する。

残された最後のしゃちほこの設置が、11/23だったのです。私はたまたまその場面に居合わせました。幸い設置直前のしゃちほこを間近で拝み、触ることもできました。

沢山の人々がその設置セレモニーに参加し、嬉しそうにその設置プロセスを見届けている姿は、とても印象的でした。しゃちほこの設置が完了し、小天守の上でその完了を告げる作業員は、「おかえり しゃちほこ」と書かれた垂れ幕を下した瞬間は、感動的ですらありました。

設置完了の合図を受けて、多くの風船がはなたれ、垂れ幕も落とされた。

完全復旧には、まだ20年以上かかるそうです。崩れた石垣の石を、一つひとつもとあった場所に正確に戻すなど、復旧工事の難しさも想像に余りあります。熊本市はその復旧プロセスも、市民にできるだけ公開しているそうです。

大天守と小天守

熊本県民の「核」である熊本城が少しずつ完成に近づいていく姿を、多くの県民が同時に見守ることで、巨大な求心力が生まれ人びとに勇気を与えるとすれば、「災い転じて福となす」の言葉通り、市民や県民にとって素晴らしい「ギフト」かもしれません。

そのセレモニー会場には、多くの外国人観光客も来ていましたが、彼らにはそこに集まった市民の気持ちを共有すること困難でしょう。お城の修復工事を大々的にやっているのを見て、なんでそんなに喜んでいるのかと疑問に思ったとしても不思議ではありません。核から生まれた物語を共有しない人びとに、共感を期待することは無理です。(私自身も本当の意味では、共感できていないと思います)

物理的存在である熊本城も、市民にとっては単なるモノではない。そこには、ひとり一人異なる物語が存在するはずです。つまりは、モノではなく概念や幻想ともいえるでしょう。みなが共感できる共同幻想が、人類をここまで生存させ進化させてきた。強く共感できる共同幻想を持てることは、とても幸せなことだと思います。間違った使い方さえ、されなければ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です