先日亡くなった加藤周一さんは、終戦時二十代半ばの医学生で、東京大空襲や広島の原爆現場での医療活動に携わったそうです。そういった体験が、その後の思想に決定的だったと言っています。他にも私の履歴書を読むと、多く方の生き方に、戦争体験が強い影響を与えてきたことがわかります。何歳で終戦を迎えたか、ほんの数年の年の差が決定的に影響しているのです。
80年代後半の社会人になったばかりの頃、あるドラッカーの著作で「現在のアメリカ人は、史上初めて親の世代より貧しくなりつつある。」とある部分を見つけて、驚いたことを覚えています。当時、経済は成長するのが当たり前で、親より豊かになるのを当然と考えていました。アメリカも大変なんだなあと思っただけで、まさか日本もそうなるとは予想だにしませんでしたが、今、現実となりつつあります。
私の世代は、戦争や学生運動のような強烈な共通体験はありません。しかし、バブルとその崩壊、そして小泉改革によるミニバブルとグローバル不況を経験しつつあります。それらを、何歳で経験したかも、その後の生き方に影響を与えることでしょう。例えば、就職時期に重なった世代はまさにそうです。生活環境のみならず、考え方へも影響を及ばさずにはいられません。
個人的な体験で言えば、銀行員一年目でバブルを経験し、いきなり理解不能な即物的価値観に圧倒されました(銀行では顕著でした)。 個人としては、安月給でバブルを謳歌することはかないませんでしたが。そして、バブル崩壊。肌感覚でおかしいと感じるものは、やっぱりおかしいんだ、と妙に納得しました。最近のミニバブルでも、それを確認した思いです。同年代の人は、同じような少し冷めた感覚を持っていると思います。
「社会経済情勢X体験年齢」で、一つの世代を括れます。もちろん、この世代の塊も、年齢を重ねるにしたがって、年齢による影響を受けていきます。そう考えると、世代という場合、三パターンあるのではないかと思います。
・ 年齢に影響される世代(例:親の世代と子の世代の対立)
・ 純粋にデモグラフィックに定義される世代(例:団塊世代)
・ 「社会経済情勢X体験年齢」による世代(例:就職氷河期世代)
戦後、比較的安定した社会を生きてきた日本人にとって、あまり三番目の世代は重要ではなかったのでしょう。ところが、昨今これだけ不確実性が高まる社会となっては、その意味は大きくなっていくに違いありません。社会や組織の一体感を維持していく際に、その視点を忘れてはならないと思います。
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