社会: 2014年4月アーカイブ

もし自分の子供がお店で万引きしているところを捕まって呼び出されたとしたら、開口一番まずは謝らせることが当たり前のことだと思っていました。しかし、最近はそうではないようです。

 

ある警備関連企業を経営している方からうかがったのですが、呼び出された親はこういうそうです。

「本当にうちの子が万引きしたんですか?」

「その証拠はあるんですか?」

「子供が万引きできてしまうような店の管理に問題があるんじゃないですか?」

 

また、こう自分の子供を叱った親もいるそうです。

「見つかるとは、なんて馬鹿なんだ。やるなら見つからないようにやりなさい!」

 

この親は極端としても、先の質問を繰り出す親は珍しくもなく、最初に子供に謝らせる親のほうが珍しいそうです。現場に詳しい方のお話だけに、これには驚愕しました。

これがビジネス上の取引であれば、おかしくはないかもしれません。自分の非を認める前に事実確認をする。そして、その事象が起きた背景に何かあったのではと推測をする。つまり、合理的に論証を進め、判断するわけです。

 

しかし、お店が子供を万引き犯に仕立ても何もいいことはありません。そんな状況で、親が論証を進める必要があるとは思えません。子供、ひいては自分の不利益を最小化すべく、苦し紛れのロジックを組み立てているのでしょう。つまり、最大限に損を減らすことに絶対の価値をおいていると考えられます。

 

もっとすごい事実があります。近年万引きは急増傾向にあり、特に高齢者が増えているそうです。万引き急増に手を焼いたある小売業者は、万引き犯を捕まえることを止めてほしいと、警備会社に頼んだそうです。おかしいですよね。言われたほうも耳を疑い、なぜなのか質問したところ、こんな回答だったそうです。

「万引きで捕まった人の家族から、その後何度もクレームの電話がかかってきて仕事にならない。だから、もう捕まえないでほしい」

それでも、万引きを見逃したらお店の損失が増えてしまうのではないかと聞き返すと、

「確かに損はでるが、全体の売上の数%で大した金額ではない。クレームに対応するコストのほうが遥かに大きいのだ。だから全店そういう方針でのぞむことになった」

 

これにはあきれて言葉が出なかったそうです。確かに損得で考えたら、そのほうが得かもしれません。しかし、ほんの出来心でやってしまった万引きを咎められず、常習化してしまったら、その子はどのような大人になるのでしょうか。そこまで心配する必要は、その小売業者にはないのでしょうか?

 

万引きする子供、その親、そして万引きされる小売業者。すべてが、損得だけの世界で生きている。倫理感も社会的公正も、周囲への敬意も、他人に迷惑をかけないとの戒めも損得の前では重要ではないかのようです。

 

ビジネスパーソンに合理性や損得計算などを教育することにもかかわっている私としては、何とも情けない気がしています。大企業の経営者に至っても、自分や自社の損得だけで意思決定しているのではないかと疑う事象を目にすることがあります。非常に短期的、単視眼、目先の利益を拡大することも大事ですが、それは結果であって目的ではないはず。尻尾に振り回されている犬のようです。

 

では、損得だけでなく何をよりどころにして意思決定をしていけばいいのか?この問いは重いです。経営幹部教育のお手伝いもしていますが、そのクラスになるとビジネススキルなどはほとんど対象となりません。ある企業では、リベラルアーツ(教養)をプログラムの中心に据えています。では、教養が経営の意思決定にどのような役割を果たすのか?難しいテーマです。

 

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