社会: 2012年1月アーカイブ

ここ数年、企業の人材・組織開発において「自律」あるいは「自立」は大きなテーマであり続けています。安易な世代論では、「最近の若者は自立していない。その原因は日本が豊かになったから、子供の数が少ないから、ゆとり教育のせい・・・」などと勝手に論じます。私は、そういう議論はどれも的外れだと思います。

 

日本人は(少なくとも)戦後はずっと自立しておらず、その傾向は大きく変わっていない。ただ、バブル崩壊以降、それをよしとしてきた環境が変貌し、もう許されなくなってきている。だから、現在それは大きな問題なのだと考えます。

 

日本では、子供を伸び伸び育てることを重視します。幕末から明治にかけて来日した欧米人は、日本では子供が王様で、大人は子供のしたいようにさせていると、驚いています。まさに、「伸び伸び」育てている。個性化の旗のもとに、その傾向はずっと続いている、いやさらに強化されているようです。

 

しかし、やがて子供は思春期になり様々な社会のルールを知り、制約をどんどん増やしていきます。社会人になる頃には、すっかり子供時代の自由さを忘れ、企業や組織への適合を最優先させてきました。家族を持つことで、されにそれは強化されます。このように、子供から大人になるプロセスとは、自由から不自由になる、つまり自らの判断では行動できなくなるプロセスと言えます。日本における自律とは、自ら判断して自らの責任で行動するのではなく、与えられた規則や枠組みを受け入れ、その枠外に逸脱しないように自己規制すること、だったのではないでしょうか。自動車の全く走っていない道路を横断しようと、じっと信号待ちしている歩行者の姿が思い浮かびます。社会の前提となっている枠組みが適切であれば、これほど効果的なことはありません。

 

一方、欧米では、子供は自由ではないそうです。フランスへの留学経験のある年配の方から聞いた話です。ヨーロッパでは、子供は未完成の人間なのだから、犬や猫と同じ。自由にさせるなんてとんでもない。理由など告げず、口答えも許さず、ダメなものはだめと言い渡すのみ。それが躾。やがて成長するにつれて、分別も分かるようになり、自由裁量の余地が大きくなっていく。ただし、自由と責任は一対のものであると考えられるようになることが大前提です。こうしてかつての子供は、自分の力で少しずつ自由を獲得していく。そうなると、大人も彼らを大人として対等に扱うようになります。自分で判断して、自分の責任で自由に振る舞う。これが、欧米での自律であり自立することです。

 

日本は自由から不自由に、ヨーロッパでは不自由から自由に、人間が成長するプロセスにおいて、個人と社会の関係性が正反対の方向に向かっている。これは、長い歴史の中で培われてきた社会の仕組みであり、一朝一夕に変わるものではありません。しかし、現在の日本は、グローバル化のもとで、否応いなく欧米型の枠組みへの適合を迫られています。そこに大きなコンフリクトが生まれているのです。

 

では、今どうするか?日本企業において、子供の教育論を議論しても意味ありません。大人である社員を、どうグローバル経済に適合させるか。それは損得しかありません。つまり、合理的に考えてそっちを選択したほうが明らかに自分にとって「得」だと認識させることです。組織にとって、それは勇気のいることでしょう。なぜなら、企業組織の中には、過去の個人と社会の在り方のほうに適合している人のほうがまだ圧倒的に多く、また彼らが権限を握っているからです。そこをあえて突破するには、トップの強力なリーダーシップが必要でしょう。

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