社会: 2011年12月アーカイブ

先日、「日本の田舎は宝の山」著者でNPO法人「えがおつなげて」の曽根原さんの講演とその後のワールドカフェに参加してきました。ワールドカフェでは、農村と都市をつなぐことに関心にある(取組んでいる)方々との対話ができ、とても刺激的でした。当たり前ではありますが、私が知らない世界がこんなにもあるんだなあと実感させられました。特に若い人たちの間で。

 

そんな中で感じたことのひとつは、「人間は自分や自分の置かれている環境のことがわからない」ということです。近年、特に3.11以降、都市住民の田舎志向はとみに高まっているそうです。都会での強いストレスから逃れたい、自然の中で自分を見つめ直したい、安全な食生活をおくりたいなど、さまざまな理由があることでしょう。

 

一方で、農村の人々は都会に対するコンプレックスがあり、田舎は不便でだめだと思っています。いいことなんてなんにもない。そんな田舎に便利な都会から田舎暮らしに憧れた人々がやってくる。なんか、おかしいぞ、信用できない、と農村の人は疑心暗鬼になっているのではないでしょうか。山梨県では、30%以上の空き家率だそうですが、都会からの知らない人に空き家を貸してもいいという人は1%にも満たないそうです。いろいろ理由はあるでしょうが、根っこのところでは、自らの魅力と都会からの移住者の心が理解できないからだと想像します。

 

つまり、農村と都会のつながりが難しい大きな理由は、農村の人々が田舎の魅力を理解していないからだと思います。都会の人々に農村の魅力を理解させる取り組みは数多くなされその成果も出ています。しかし、今の障害は農村の人々が田舎の魅力を本質的には理解していないことではないでしょうか。逆説的ですが、もし自らの宝の山を理解していれば、もっと寛大になれる気がします。「田舎は宝の山」と思うべきは、都会人以上に田舎の人々なのかもしれません。

 

そうなると田舎の人々に田舎の魅力を再認識させる取り組みが必要になります。その方法は、外の人に発見してもらうことです。俳句の黛まどかさんが、地方での句会に関連してこう書いています。

 

よそ者の目を持ちこむと、土地の魅力が再発見できる。地方と地方、都市と地方、ジャンルとジャンルをつなぐことです。

 

これは企業でも全く同じで、自社の持つ魅力や強みを驚くほど理解していないことがあります。同様に弱みもですが。これまでの日本企業は、終身雇用を前提としており、よそ者の目がほとんど持ち込まれてこなかったのです(たとえ社外取締役を増やしても変わらないでしょう)。その結果、オリンパスのようなことが起きたり、本来の企業価値を実現できないアンダーバリュー状態が持続されることになります。これは、企業組織だけでなく一個人においても同様です。

 

単純にとなりの芝生の青さを羨むのではなく、自らの中の宝の山を見つけること、それが今の日本社会にとって、あらゆる場面で必要なことなのかもしれません。

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