社会: 2011年6月アーカイブ

東京電力の株主総会が、昨日わずか6時間で終了しました。ことの重大性を鑑みればひと晩でもふた晩でも続けてもいいと思うのですが・・。

 

勝俣会長は、「辞任して責任をとるのではなく、これまでの経験や知見を生かしたい」と理解を求めたそうです。それほどの深い知見があるのであれば、そもそもこんな事故は起きなかったでしょう。また、これまでの経験とは、安全神話を前提とした経験に違いありません。そんな経験こそ、今組織から払拭させる必要があります。その象徴として自ら身を引くのが、リーダーのあるべき姿ではないでしょうか。

 

 

復興構想会議の提言も発表されましたが、「構想」はほとんど見られません。構想は現実の延長線上に生まれるものではありません。現実から大きく離れるから構想なのです。しかし、もちろん飛躍すればいいというものでもありません。そこに必要なのは、歴史観と未来像です。つまり、時間軸を100年単位に広げて、描く必要があるのです。残念ながら提言からは、歴史観も未来像も感ずることができません。

 

日本人は「構想」できない民族なのでしょうか。そう悲観したくもなります。確かにこれまで、構想を「大風呂敷」だとか「思いつき」と虐げてきたように思います。「大人の判断」にはもっともなじまない。しかし、100個の大風呂敷の中からひとつの新しい構想がうまれてくるかもしれません。そんななか、そもそも大風呂敷を最初から否定したら、構想など根絶されるでしょう。で、どうするか?そう、「構想」を輸入してきたのです。そして、ヨコのものをタテにして一大キャンペーン。

 

時代を廻すのは権威ではなく、トリックスターですトリックスター は、神話物語の中で、や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずらきとして描かれる人物のこと身近なところでは、ホリエモンや佐藤優氏(最近どこかの雑誌で対談してましたね)、古賀茂明氏(「日本中枢の崩壊」著者)などがそうだと思います。王様は裸だ!と叫ぶ子供のようなものかもしれません。彼らのことをよく知っているわけではありませんが、そういう多くのトリックスターの中から、本当の英雄が生まれてこないとも限りません。

 

少なくとも言えることは、東電現経営陣に代表されるセグメントから時代を廻す「構想」は絶対生まれないということです。経験も知見も、百害あって一利なし。せいぜい出てくるのは、2020年東京オリンピック招致程度の「構想」でしょう。

 

いっけん馬鹿げた考えのように思えるかもしれませんが、トリックスターを包容し適切に付き合える社会こそが成熟した社会であり、今の日本が目指すべきひとつの方向だと思います。

日本が近代化、あるいは西洋化するにしたがって個人のアイデンティティが必要になってきました。それ以前は、個人という概念はなく、●●村のXXさんの三男坊で、こと足りたのです。職業も人生の過ごし方も、生まれた時点でほぼ決まっていました。そこに「個人」はありません。アイデンティティとは、『自分が自分自身に語って聞かせる物語』と精神分析医のR・Dレインはいいました。そんなもの不要だったのです。

 

しかし、その後世の中は変わり、自分の人生は生まれにこだわらず自分で決められるようになりました。自由です。しかし、自由と責任はセットですから、さまざまな苦労が新たに加わりました。当たり前です。すべて自分で決めなければならないのです。でもこれは、人によっては苦痛です。他人や世間に決めてもらったほうが楽だからです。それまでは、親や部落の長の一存にしたがってさえいればよかったのですから。ここから近代人の苦悩が始まります。必然的に「私は何ものか?」「なんのために生きているんだ?」という疑問に立ち向かわなければならなくなりました。これはつらい。

 

そこで、昭和初期にはそこに天皇という軸が設定されました。それですべてが決まります。楽と言えば楽です。そして、戦後は天皇の代わりを見つけなければなりませんでした。そこに現れたのが「会社」という概念です。疑似コミュニティーである会社は、前近代の「部落」の代替物となりました。そこでは、難しいアイデンティティは不要でした。「XX会社の課長です」で、ほぼすべて通じます。個人はやはり不要でした。

 

しかし、時代は再びめぐり「グローバリズム」というものにさらされ、「会社」コミュニティーが崩壊を始めます。一生面倒をみてくれると思っていたのに、そうじゃないと急に言われたのですから。そりゃ、慌てます。それがバブル崩壊後に起きたことです。「会社員」は一斉に不安に陥りました。何を信じればいいのか?自分はいったい何だったんだ?と、やはりアイデンティティを探さなければならなくなったのです。その隙間には様々なものが入りこみました。古くはオウム真理教をはじめとした新興宗教、おカネ、資格、MBA、オタク、怪しげな自己啓発セミナーなどです。もちろんそれぞれに意味はあるものばかりですが、あいまいな不安が支えていることは事実です。

 

そして東日本大震災を経た現在。被災者は、これから新たなアイデンティティを見つける長い旅に出ることになるでしょう。これまで培ってきたアイデンティティは否定され、現状を受け入れる「物語」を紡ぐ必要があります。これはつらい作業です。

 

また被災者だけに限りません。例えば、東京電力をはじめとした電力会社社員は、程度は違うかもしれませんが、同じようなアイデンティティ・クライシスに陥ることが予想されます。

 

さらには、効率至上主義、株主至上主義を標榜してきたグローバル企業は、経営スタイルの修正に迫られるでしょう。それは社員の意識の修正をも強いるはずです。やっと見つけたグローバル競争の申し子というアイデンティティの否定を迫られるかもしれません。彼らも被災者と同じように、自分の「物語」を語り直すことが必要なのです。

 

新し物語を紡ぐのに必要なのは、過去と折り合いをつける勇気と自分を客観視して未来に広がった物語を構想する想像力ではないでしょうか。自分の物語を想像できる人は、他者の痛みも想像できるはずです。

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