社会: 2009年11月アーカイブ

20年前の今日、ベルリンの壁が崩壊しました。早いものですね。当時、私はストックホルムの大学院にいました。変化の胎動というべきか、えもいわれベルリン壁.jpgぬ熱気が漂っていたことを思い出します。その2週間ほど前、大学院の企画でゴルバチョフ政権下のソ連を訪れ、共産社会の衰退を目の当たりにしていたので、それほどの驚きは感じませんでした。

 

当時、東独の人々は、壁の崩壊と、間髪いれぬ西独との併合に、きっと大きな夢を描いたことでしょう。それまでは、自由の夢は虚構に過ぎず、現実にはなりえなかったのでしょうから。それが、一気に変化しようとしていたのです。

 

そして、20年が経ちました。彼らの夢はどうなったのでしょうか。報道を見る限りでは、夢破れ希望を失い、旧体制に戻りたいと考える人も数多く出てきているようです。

 

 

人間は現実の中で生きていかなければなりません。しかし、現実だけでは生きるエネルギーが湧いてきません。そう、夢が必要なのです。夢はかなうかどうかが問題なのではなく、かなう可能性が少しでもあると思えるかどうかが、重要なのだと思います。

 

現実から見て、夢が実現する可能性が少しでもあれば、そこに希望が生まれます。逆に、その可能性がないと諦めてしまえば、絶望になります。

 

 

企業組織でも同じだと思います。入社早々の新入社員のきらきらした眼は、いつまで続くのでしょうか。かつてのように、マイホームを持つ、(適度に)出世するという夢を希望にして生きることは難しくなっています。それに代わる夢を、経営者はすべての社員に描かせることができているのか、そして、実現可能性を感じさせ、希望を抱かせることができるのか。

 

日本の企業組織は、現実を直視しつつも、社員に夢と希望をもたらすことが、最も重要な存在理由だと私は思います。もしそれがなく、契約関係(損得)だけで成り立っているとしたら、給料以上の働きはしないでしょう(もちろん、それを前提の組織をつくる道もありますが)。その場合、競争力は格段に落ちるはずです。

 

社員のロイヤリティーが下がったとか、モチベーションが低いとか、自律させなければ(言語矛盾です)とか、様々な課題を耳にします。そうなんでしょう。でも、その原因は、社員にあるのではなく、夢を見せられない経営陣にあることを忘れてはなりません。自分たちの頃は、そんなものは自分で考えたなどと、言えはしないのです。

 

 

ベルリンの壁崩壊から20年。世界は、少しは良くなったのでしょうか。良くするには、国家や企業は、どのような夢を描くべきなのでしょうか。

 

 厚生労働省は平成19年3月20日、インフルエンザ治療薬「タミフル」の輸入販売元の中外製薬に対し「10代の患者には原則として使用を差し控えること」と添付文書の警告欄を改訂し、緊急安全性情報を医療機関に配布するよう指示しました。

タミフル.jpg 

既に旧聞に属すかもしれませんが、この措置に対して、どう思いますか?10代の生命を尊重した的確な判断と思いませんか。一般には、そう捉えられているようです。

 

本当にそうでしょうか?タミフルを服用していれば、治ったかもしれない患者のことは考慮に入れられていないようです。異常行動というマイナスの可能性と、薬で治るというプラスの可能性、その両方のバランスをどう取るかといった判断に、社会の考え方が如実に表れるように思います。

 

日本は、マイナス方向のリスクを極端に避ける文化なのでしょうか。もし、そうだとしたら、それはなぜなんでしょうか?

 

ひとつには、マスコミの体質があると思います。少しでも防げたかもしれない事故が発生すれば、その責任追及は熾烈を極めます。一方、行動の結果としてプラスの成果があったとしても、あえてマスコミは報道しない傾向があるようです。マスコミが、責任追及をミッションとしているかのうようです。マスコミがそう行動するということは、それを人々が期待しているからだとも言えるでしょう。

 

もう一つは、機会損失という概念が、ほとんど浸透していないからだという気がします。もし、タミフルの服用を続けていれば、どれだけ若い人の生命を救えたか(実際は停止したため救えなかったが)という発想は、まさに機会損失の発想です。もし、・・・なら、という仮の話は、詮無いことだということなのでしょうか。ダム建設や予算消化など、政府に、そもそもそういう発想がないからでしょうか。合理的判断よりも、感情が社会を支配していると、言えなくもないです。

 

合理性だけでなく、また感情だけでもない。双方を十分に考慮した上で、判断する。そのためには、ぶれない価値観や哲学が必要です。それを、どこで身につければいいのでしょうか。深い人間洞察と経験と知恵、それらを兼ね備えた「老人」の出番かもしれません・・が・・・。

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