社会: 2009年9月アーカイブ

人の意識や行動を(こちらが)好ましい方向に動かそうとするとき、二つのやり方があると思います。

 

ひとつはImposition。つまり賦課です。

「こっちは、あなたにとってこんなに役に立つし、あなたに合っていますよー。こちらに行くのが正しいですよー」と、お節介なこともありますが、進路を指し示し、その行動を暗黙に課すアプローチです。

 

もうひとつは、Resonance。つまり、共鳴、共振です。

「私はこう考え、こう行動します。あなたが、どうしようとも関係ありません。それは、あなた自身の問題であり、あなた自身が決めることです。でも、あなたが私の考えに共鳴してくれるのであれば、嬉しいです。」

Resonance.jpg 

人々が成熟してくると、一般に共鳴型が有効になってくるでしょう。主導権を、他者に握られることを潔しとせず、自分が主導権を握ることを重視するからです。また、共鳴、共振するには、その対象となる自分自身の核がなければ鳴りません。

 

 

ところが、今書店に行けば、Impositionを誘導してくれる本が溢れています。「XXX式勉強法」「給与がZZ倍になるテクニック」などなど、私など余計なお世話だと思ってしまいます。どう考えても、成熟化に向かっているとは思えません。

 

Resonanceを暗黙に期待する人は、たぶん他者と同じことを嫌い、自分だけのヒントを探しアンテナを張っているのではないでしょうか。マスを嫌う。

 

そうなると、普通に考えればビジネスになる(お金になる)のは、どう考えてもImposition派です。従って、供給はそちらにシフトするのです。安易に儲けたい供給者と、安易に答えを求める需要者の利害が一致して。

 

これは書籍の市場に限って起きていることなのでしょうか?ブランド物が売れなくなっているという話も聞きますし、一方で雑誌やショーと連動したファッションのネット販売が急成長しているという話も聞きます。どっちの方向に向かっているのか、よくわかりません。

 

もしかしたら、二極分化が急速に進み、表に見えているのはImposition派ばかりでも、実は見えていないところにResonance派がじっと待っているのかもしれません。Resonance派に響く供給者を。

 

あなたは、どちらですか?

昨日に続いて鞆の浦で感じたことです。

 

鞆の浦は、古代より船の交通の要衝でした。江戸時代までの船は和船でした。幕府が大型船の建造を禁止したこともそれを促しました。和船は、底が平らの喫水線が浅く、遠浅の湊でも寄港できます。

鞆の浦.jpg 

幕末から、西洋式の底がとがった洋船が主流になりました。黒船からですね。鞆の浦のような遠浅の湊は、洋船では陸に近づけません。さらに、船が蒸気機関のような動力を持つようになり、潮流の影響を受けにくくなります。それらの結果、潮待ちの湊として栄えた鞆の浦は、急速に衰退していきます。さらに、昭和に入って以降は、海運が自動車輸送に押され、海運自体衰退します。

 

一方、同じ広島の呉は、大きな軍艦も寄港できるだけの深さを持つため、軍港として発展を遂げます。

 

こうして、鞆の浦は、周回遅れの取り残された湊町になったのです。

 

その後、呉のような軍港は米軍の空襲で壊滅します。さびれた鞆の浦は、空襲の価値もなかったのか空襲にも合わず、奇跡的に江戸時代のまま温存されました。

 

 

そして、現在。ポンペイではありませんが、取り残された湊町が、大きな価値を持ちつつあります。日本の誇る生きた文化遺産となったのです。周回遅れのランナーが、いつのまにかトップに立ったかのようです。

 

先月書いた、大地の芸術祭で注目されている新潟の越後妻有も同じような構図だと思います。産業化の遅れた山村の風景、つらい労働を強いる棚田、建材として価値の低いぶなの森、住民の強いつながり、それらは、きっと十数年前なら、遅れた地方の代名詞だったはずです。

 

鞆の浦の前に行った直島もそうです。忘れられた瀬戸内海の島が、アートの力で生まれ変わったのです。もともと直島が持っていた自然の魅力を、現代アートと安藤建築が蘇らせたといえるでしょう。(ベネッセの福武さんは本当にすごい!)

ベネッセハウスの夕暮れ.jpg 

 

以上の三か所に共通するのは、一時は生まれ育った町に誇りを失っていたであろう住民が、今は活き活きとしていることです。

 

 

時代は変わるのです。周回遅れだからこそ、トップランナーに躍り出ることもできるのです。今元気がない日本企業も、地方都市も、歴史に根差した自らの強みを見失うべきではありません。

 

今は弱みに見えることも、環境や人々の価値観が変わったり、触媒になるような何か(アートのような)を加えることによって、貴重な財産になる可能性を秘めています。

 

町も企業も、そして人間も同じでしょう。一次の流行やブームに惑わされることなく、本質を捉える目とそれを活かす知恵と胆力を持ちたいものです。

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