社会: 2009年2月アーカイブ

昨日の「おくりびと」のアカデミー外国語映画賞受賞は、記憶に新しいノーベル賞の複数受賞に続いて、明るい話題を提供してくれました。

 

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昨年夏、伯母を亡くし、大人になって初めて通夜から葬儀を体験しました。死者を送る行事を、身をもって認識したところなので、この作品が世界に認められたことは、とても驚きとともに嬉しさを感じたのです。

 

 

納棺師の存在や、人々の死者への対し方は、多くは日本独特のものでしょう。それが、アカデミー賞という世界の舞台で評価されたということは、そこに普遍性があったからに違いありません。

 

 

死は確かに普遍的なものですが、本映画のテーマの一つでもある生と死がつながっているとする生死一如の考え方は、少なくとも西洋にはないものと思います。でも、実は深いところで理解された、というのがこの受賞だったのではないでしょうか。

 

 

人は、いろいろなアイデンティティーを持っています。例えば、日本人、仏教徒、男性、会社員、上司、親、子供などなど、場面によっていくつものアイデンティティーを使い分けているのです。時に、それらが自分の中でぶつかることもあります。

 

 

社会人一年目の新入行員時代、配属された支店では、支店長以下目標達成に汲々としていました。目標の一つにATMの稼働率があり、窓口業務からATMの顧客をシフトさせることが目的でした。そこで、全体業務量に占めるATM扱いの比率を上げるべく、行員がおのおのATMに並んで自分の口座から預金を引き出し、また預けるということをしていました。

お客さまの間に並んでそれをするのです。当然、お客様の待ち時間は長くなります。いいことではありませんが、皆それもやむを得ないと考えていたようです。

 

 

銀行員になったばかりの私は、どう考えてもおかしいと感じました。まだ、銀行員のアイデンティティーが確立されておらず、一個人としてのアイデンティティーが強烈な違和感を覚えさせたのです。

 

 

社会で生きていく上では、様々なアイデンティティーを使い分けることは必要です。危険なのは、特定の集団だけが持つどれか一つに傾倒してしまうことではないでしょうか。民族、宗教というアイデンティティーが、多くの戦争の原因になっていることは事実です。

 

 

一方、あらゆる人々のアイデンティティーに共通する考えや思いが、普遍的なものと言えるのでしょう。社会が複雑になっている現在、バランス感覚をもって自らや他者のアイデンティティーに向き合い、さらに根底にある普遍性への尊重を心掛けることがますます重要になってきているのだと思います。そういう意味でも、「おくりびと」のアカデミー外国語映画賞受賞は、とても嬉しいのです。

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