ブックレビュー: 2010年9月アーカイブ

最近、本を読むときに集中力が落ちているように、なんとなく感じていました。それはどうやら、私だけではないようです。ニコラス・G・カー著「ネットバカ」(ひどいタイトルですね)を読んで、納得しました。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていることネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
ニコラス・G・カー 篠儀直子

by G-Tools
 

ウェブページなどを液晶モニターで読む時間が増えるに従って、流し読み(ブラウジング)や探し読み(スキャニング)に慣れ、じっくり文字を読み込んでいくことが難しくなっているようです。これまでも、新聞や雑誌を読むときはそう言う傾向がありました。しかし、そんな時間は限られていました。ところが今は、デスクに座ってPCを使っている時はもちろんのこと、外出先でも携帯メールを読むことも多くなっています。つまり、四六時中そんな読み方をしています。そのため、流し読みが習慣化してしまったようです。

 

さらにいえば、ウェブではリンクが数多く貼られ、すぐリンク先に飛んでしまうため、ますます落ち着いて読めません。「読む」という行為だけでなく、「探す、選択する、クリックする、読む、戻る・・・」といったマルチタスクをこなしているわけです。そして、恐ろしいことに、そういう行為に適した脳に変化してしまうそうなのです。

 

 

電子書籍の可能性が議論されていますが、「じっくり読む」という行為においては、モニターを通してデジタルデータを読むことと、本のような紙の上を読むことは、大きく異なる体験だという気がします。それを実感するのは、原稿の校正をしたり、念入りに推敲するために「読む」ときです。非常に注意深く読む必要があるときは、わざわざプリントアウトして、ハードコピーで読みます。そうでないと、なぜか集中できないのです。それは、私に限らないようです。ハイパーリンクの問題とは別に、紙でなければならない理由があるようです。

 

一方で、「書く」行為においては、そういう意味の違和感はありません。いずれ、それと同じように読む行為においても違和感がなくなっていくのでしょうか?

それとも、書く行為と読む行為の間には、人間にとって大きな相違点があるのでしょうか?わたしは、後者の気がします。このような問題は、学習という行為にとっても、非常に影響の大きいことです。

 

ついでに、電子書籍に関する私の仮説を述べます。新聞や雑誌、軽い読み物などのブラウジングに適したコンテンツであれば、紙媒体から電子書籍にシフトしていく気がします。しかし、著者の思考プロセスをじっくりなぞりながら、自分の思考を深めていくような類の書籍は、紙で読み続けられるように思います。ただ問題は、そういう本を読む人、ひいては書く人がどれだけいるかですね。そうなると、結局ビジネスとして成り立たなくなってしまうのかもしれません。そうして、行き着くところは、はやり「ネットバカ」の世界なのでしょうか。それはちょっと悲しいですね。

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