組織の能力: 2018年3月アーカイブ

森友問題に付随する財務省の決裁文書書き換えは、いよいよここまで来たのかと思わざるをえません。官僚が決裁文書(しかも国会に提出する)を書き換える、いや改竄するのは、銀行員がお客さんから預かったお金をちょろまかすのと同じことです。まともな銀行員であれば、どんな指示があろうとも絶対できません。そういったことが財務官僚で起きたことは、官僚がまともでなくなったか、犯罪行為をせよとの指示が上司からあり、それを断れないような組織の規律に成り果てたのか。どちらにしても、「常識は壊れた」と遺書を残した近畿財務局職員の言うとおりなのでしょう。

 

これまでも政治家による行政の介入はいろいろあったでしょう。今回の問題がそれらと異なるのは、官邸に権力が集中している構造で起きたということです。私見ですが、日本人は権力集中した組織構造をマネージするのが、極端に苦手です。戦中、戦前の軍隊がそうです。朝廷と幕府が権力を分担させてきたのも、権力集中すると安定しないという知恵があったからなのかもしれません。(正確にいえば、朝廷の権威VS幕府の権力ですが)

 

戦後はその反省から、三権分立を憲法で定めたわけですし、また実態では官僚機構と政治家と経済界が拮抗することで社会が安定する仕組みを整えてきた。

 

大部分が日本人集団によって構成される日本企業も同じです。従来の日本企業では、御神輿経営とも呼ばれ、社長は御神輿に担がれる役であり、実質的な権力は持たなかった。実質的な力を持っていたのは、ミドルであり現場だったのです。社長は権威を持ち、ミドルと現場が権限を持ち、年功序列によって分配は高齢者が厚く得る。このような、力の分散と拮抗の仕組みが、日本組織を安定させてきたと言えるでしょう。

 

しかし、弱点は急速な変化対応ができないことだった。対応できなかった日産は、ルノーに買収されることでガバナンスを変えた。日本人が大部分を占める組織と、欧州によるガバナンスは、美しく融合したかにみえましたが・・・。ゴーンCEOによるトップダウンも機能しているように見えましたが、まだ断定するには早い気がします。

 

日産はガバナンスを変更しましたが、それもなく手法だけ取り入れて失敗した企業がいかに多いことか。

 

やはり日本の組織では、権力集中しないで拮抗させる、あるいは力を分散させることで、皆に「花を持たす」平等精神のようなものが必要だと感じます。一人がすべてを握ってしまうのでは、日本組織の長所は活かされない。ほおっておくと、日本人は慮ることや忖度が得意なので、すぐ上をみて仕事するようになってしまう。そうなると、かならず組織能力は劣化します。

 

政府にしろ企業にしろ、自らの体型を自覚しないまま借り物の衣装を着たがために、転んでしまわなければいいのですが。

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