組織の能力: 2015年1月アーカイブ

 

ホテルと日本旅館、回転ずしと江戸前寿司(従来型の寿司屋)、ファミレスと割烹、これらは一見した機能は同じようですが、まったく別物です。前者は欧米にモデルがある(回転ずしは違う?)のに対して、後者は日本の歴史の中で培われてきたサービス業です。

 

このような現象は他にも多くみられると思います。では、後者の共通点は何でしょうか?そこに経営学でメスを入れたのが、「日本型クリエイティブ・サービスの時代」という本です。

 

何故寿司屋にはメニューがないのか、以前は不思議で仕方ありませんでした。大学生時代、赤坂でのコンパの後、酔った勢いで友人と二人で寿司屋に入ったことがあります。何を食べたのかよく覚えていませんが、当時としては破格の料金を請求されて驚きました。今思えば当然の金額なのですが、当時はメニューも価格表もなく不公平だと苦々しく思った記憶があります。もちろん今では、メニューがない理由もなんとなくわかり、寿司屋を時々ですが楽しんでいます。

 

では、どんな楽しみなのか。本書によると、

いわば、サービス提供者と客とが、自分の自己を呈示し、相互行為を通して交渉する過程としての価値共創が見て取れる。

 

つまり、寿司屋とは提供者が客に一方的にサービス(寿司)を提供する場ではなく、両者の相互作用によって価値を高めていく場なのです。そこでは両者の関係は基本的に対等です。そうでなければ共創はできず、価値を高めることはできません。逆に言えば、対等な相互行為をすることで全体の価値が高まり、その恩恵を両者が得ることができる。アウフヘーベンの場なのです。

 

このような価値共創においては、客も背伸びをし、経験を積もうと志向する。結果として、客のサービス価値に対する感度も高まり、サービス価値全体をより適切に認識できるようになるのである。

 

大学生の私は、無知で背伸びをすることすら知らなかった。きっと、寿司屋の大将は苦々しく見ていたことでしょう。

 

京都の花街では、「客を鍛える」ということがよく言われるそうです。何かとお客様は神様ですと、お客に対してへりくだることがよしとされる風潮がありますが、日本文化では少し異なる対応をするのです。以前、「すきやばし次郎」に中国人客が訪れ無理な注文をし、店から追い出されたという事件がありました。お客様が神様であれば、店は客の注文に全面的に応えるべきかもしれません。でも、そうではないのです。

 

「おもてなし」という言葉が、昨年来盛んに使われています。おもてなしとは、お客さんの要望すべてを受け入れることではありません。お客さん自身もわかっていないが、きっと喜ぶだろうことを想像し先回りして対応することが、本当の日本的なおもてなしだと思います。時に、客を教育する必要もでてくるでしょう。その意味では、アップルの革新的製品やサービスは、「おもてなし」の精神に基づいていると思います。禅に傾倒したジョブズならでは、です。

 

こういった真の日本的サービスの構えは、これまではガラパゴス的だったかもしれませんが、アップルの成功に示されるように、これからはグローバルに通用するものになっていくと確信します。客に媚びず、客を教育し、成長した客と切磋琢磨してお互いさらに高い境地を目指していく、それが日本的な構えです。

 

そう考えると、「これからは回転ずしだ」と、目が曇っていないでしょうか。海外では、回転ずしの経営者にほとんど日本人はいないと聞きます。そう、標準化すればするほど、日本人には勝ち目はない。自分たちの強みを徹底的に活かすことが経営です。他人の土俵で相撲を取ることはありません。

 

自分たちの強みを突き詰めて、それを普遍化し一定規模の拡大を適切なスピードで図ることが、世界での戦い方になっていくと思います。

日本型クリエイティブ・サービスの時代 「おもてなし」への科学的接近
小林潔司
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昨日のサッカー日本代表の対ヨルダン戦、久しぶりに日本代表の流れるような連動が見られました。こういう試合が観ていて楽しいですね。

 

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流れるような連動とは、ボールを持った選手と他の選手との間で、暗黙のうちにゴールまでの一連の動きを共有しているからできることでしょう。言い換えれば、選手相互の予測、つまり想像力が高いレベルで保たれている。

 

もうひとつ、フィールドの上で刻々と移り変わる戦況においても、ここは攻める場面だ、ここは時間をつかう場面だといったような、選手の「意図」や「思い」が重なっていることも必要です。つまり共感する力、思いの伝染。

 

さらには、素晴らしい技術はさらに別の選手の卓越したプレーを引き出す、相乗効果もあります。スキルの伝染。

 

このような、サッカー選手個人のスキルとは異なる次元の、チームとしての強さを構成する要素は何なのかを考えながらの観戦も楽しいものです。

 毎回欠かさず観る数少ないTV番組のひとつが、NHKのサラメシです。ランチを通して、ビジネスパーソンや企業の実態がよく見えてきます。

 

今年第一回の放映で、北九州の会社のランチ(お弁当)の話がありました。その会社は社員10人程度の小さな建設会社。現場にいる従業員のランチは、朝会社で受け取った手作り弁当。昼時、ブルーシートの上で従業員が車座になった弁当を広げています。その弁当は、なんと毎朝社長が全員分を作っているのです。当然カメラは会社に向かい、社長を探します。出てきたのは、九州のおばちゃん。

 

もともと彼女の父親が社長だった会社を継いだのですが、ついでに母親が担当していた弁当づくりも引き継ぐことになったのだとか。なぜ毎朝社員のために作り続けるのか問うと、こんな答え。

 

「私はお客さまのために作っているんです。現場にいる従業員がいい仕事をしなければお客さんに喜んでもらえません。そのためには、従業員に現場で頑張ってもらわなければなりません。私ができることは、美味しい弁当を作って従業員を助けることくらいです。」

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毎朝ひとりひとりに、弁当を手渡して送り出す社長。

「きょうも元気に全員を送り出せて良かった。」

 

サラメシでは、しばしば従業員のためにランチを用意する社長が登場します。現場に直接出ない社長にとって、社員が気持ちよく仕事できる環境を整備することこそもっとも重要な役割のような気もします。

 

こういった会社では、従業員のチームワークも良さそうですし、なにより社員を大事にしているという経営の意図が直接伝わり、ロイヤリティーも高いのではないでしょうか。

 

前回、組織は持続性が重要だと書きましたが、組織が持続できる大きな要因のひとつは、社員のロイヤリティーの高さだと思います。そのために社長が自ら社員のランチを用意する。組織の長たる社長としては、非常に理かなった行動といえるでしょう。

 

「社員が一番」と公言する社長は多いですが、どれだけ行動で示しているか。社員は社長の言動に非常に敏感で、ウソはすぐ見抜きます。

 

大企業でさすがに社長が弁当作りはできませんが、別のやり方で示すべきで、持続的成長力のある企業では実際にそれがなされていると思います。

2015年が始まって、はやくも9日が経ちました。今年は、組織能力について自分なりの考えをまとめる年にしたいと思っています。

 

私が組織能力について、漠然とですが考え始めたのは、新卒で銀行に入行した頃でした。学生とは全く異なる銀行という組織に放り込まれて、それまでとあまりの違いの大きさに面食らったものです。詳細は割愛しますが、当時就職ランキングでトップにあったF銀行ですが、入る前と入ってからでは印象が大きく異なりました。一番強烈に感じたのは、そこで働いている行員が楽しそうではないことでした。仕事ですから、いつも楽しそうというわけにはいかないことくらいはわかっていましたが・・。

 

一人ひとりの行員はいい人ばかりで、仕事を離れたときには結構楽しそうなのですが、仕事の場面ではみんな辛そうに見えたのです。朝、支店が開く前、シャッターが閉まった店内では、心なしか溜息が聞こえるよう。なぜ、仕事をする「集団」になるとこうも辛そうに見えるのか。

唯一、みんなが朝元気に明るく活動したのは、夜大雪が降った翌朝でした。みんな嬉々として協力して店の前の雪かきに精を出していました。普段とのあまりに違いに、私は不思議な気がしたものです。そこには、自然とチームが出来上がっていたのです。

 

「集団」、「チーム」、「組織」、複数の個人からなる「集合体」にはいろいろな呼び方があります。それぞれ微妙にニュアンスが異なると思いますが、私はこう使い分けています。まず、個人の集まりだけを意味するのが「集団」。たまたま交差点の信号機で信号待ちをしている人々も、同じ信号待ちをする集団です。たまたま何らかの理由で、場と時間を共有している人々です。

次にチームとは、異質な人間が共有の(かつその達成を熱望する)目標に向けて助け合う集団。まさにスポーツチームや外科手術を行う医者や看護師らのチーム。チームメンバーはお互いに助け合えるような人間同士の強い「信頼」で結びついていることが条件です。

そして最後の組織とは、少しずつ違った目標をもった複数のチームがそれぞれの役割を果たすことで、全体としてさらに大きな目標を成し遂げていくチームの集合体。チーム間の連携は、人間の顔が見えない規模になることも多いため、信頼以上に「仕組み」で担保する必要があります。人間の身体は、複数の器官からなる「組織」です。いうまでもなく企業は組織です。そして、組織がチームと最もことなるのは「持続性」を目標としていることだと思います。基本的には持続することを目的にしない組織はない。(産業再生機構のような特殊な事情による期間限定組織はあります)どんな組織でも、持続することを諦めたら即組織ではなくなり、烏合の集団になります。倒産に直面した企業がまさにそう。


以上をまとめると以下の関係となります。右側にいくほど条件が追加されていく。

個人<集団(場の共有)<チーム(目標の共有)<組織(持続性重視)

 

かつて私が所属していた銀行支店でも、もちろん共通の目標らしきものはあったでしょう。しかし、それは数値目標であり、どんなに支店長に尻を叩かれても熱望するような目標ではなかったと思います。(支店長は熱望していたかもしれませんが・・)つまり同じ支店に勤務する集団だった。ところが、大雪に直面して、来店するお客さんが足を滑らせないようしたいという共通の熱望する目標を得たことで、チームとなったのだと思います。

支店という集合体も、行員が一体となって雪かきをするチームという側面と、複数の部署(融資、預金、窓口、総務など)からなる組織という側面があります。つまり、同じ集合体もどの視点でみるかによって、集団になったりチームになったり組織になったりする

支店経営を担う支店長は、支店を持続すべき組織とみることでしょう。しかし、バブル期、短期的成果だけを追求し自分(支店長)が転勤になると、膿が出て支店業績が急低下するという現象も見られました。その支店長は支店を組織としてはみていなかったのです。そういう支店長が多ければ、銀行組織は崩壊することでしょう。

 

さて、これからは「組織」の能力について考えていきたいと思います。

 

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