意思決定: 2011年4月アーカイブ

震災や原発事故によって、自粛ムードが蔓延しています。たとえば、東京都は花見禁止令といういようなスタンスを打ちだしています。また、鉄道各社は節電のために、本数削減、照明や暖房を削減、エスカレーターも止めている駅も多いです。これは一体何なんでしょうか?山本七平いうところの「空気」による支配が頭をもたげているのかもしれません。

 

節度ある都民は、花見の際も被災者へ共感すればおのずとどんちゃん騒ぎはしないでしょう。日本はお葬式の直後に精進落としとして、参加者同士で酒を酌み交わすことが普通の国です。花見=酒=どんちゃん騒ぎ=不謹慎、というロジックにはかなり無理があります。私は、はかない桜を愛でながら、被災者や亡くなった方々に思いをはせながら酒を酌みかわすことは、今立派な行動であり、それを禁止するのは馬鹿げています。今、花見で馬鹿騒ぎするような愚かな人が、この東京にそんなにいるとは思えません。いたとしても、良識ある都民から、それこそ圧力がかかることでしょう。こういったことを役所が「指導」する発想自体おかしいと思います。

 

鉄道各社の節電も方向性としては賛成しますが、はたして常時エスカレーターや照明、暖房を止める必要があるのでしょうか?電気が不足するのは事実ですが、不足するのは電力使用のピーク時だけです。その時間以外は不足しません。したがって、非ピーク時の節電は、今回の電力不足には無関係です。駅はでお年寄りや体の不自由な方が、エスカレーターを使えず苦労しています。また、病気でも電車に乗らなければならない方が、暖房の効いていない車内で震えているかもしれません。意味のない節電のために。

 

なぜこういうことが起きるのでしょうか。上記のいずれも被災者への共感でもなく、合理的判断でもありません。なにやら漠然とした「空気」によるものではないでしょうか。「こんなときに酒とはいかがなものか」、「こんなときに節電に協力しないとはいかがなものか」、といった「いかがなものか」という「空気」が、人々の行動を制限しつつあるような気がしてなりません。


空気とは、考えてみれば放射線に似ています。臭いも音も振動も形もなく、出どころもよくわからないまま知らない間に人々を覆い尽くします。そうして、少しずつ行動に影響を及ぼし破壊する。

 

日本人は何かと極端に「触れやすい」民族だと思います。それは、空気の支配力が強いからでしょう。今回の自粛ムードも極端に触れる可能性があります。危機の場面で一致団結する素晴らしい資質と、極端に走ってしまう悪弊はコインの裏表です。

 

今必要なのは、まず空気に支配されず、自分自身の頭で考えること。そして共感によって判断するのか、合理性によって判断するのかを自分で確認することです。共感による判断は、人間の深いところにある感情を評価軸とするのであり、他者にとやかく言われる筋合いはありません。花見をすることで被災者の方々と共感する人はたくさんいるはずなのです。また、特に社会的に影響の大きい機関や組織は、こんなときだからこそ合理的判断が重要です。東電の「計画停電」実施は、近年まれにみる非合理な意思決定だと思います。合理的に判断したとしたら、このような形式を取らなかったはずです。理性ではなく国民の「情」に訴えたかったとしか思えません。東電も政府も、「国民は愚かだから合理よりも情だ」と判断したのかもしれません。


過剰な自粛は消費を減らし、ただでさえ落ちている日本の経済力をさらに悪化させます。それは復興の最大の障害になるでしょう。こういう「理屈」は「空気」の前では無力であり、議論の俎上に上がりにくいのでしょう。

 

大人の判断、大人の議論ができない国は、他国から尊敬されるはずがありあません。確かにこれまでの被災地の方々の行動は賞賛にされて当然です。しかし、これから日本を見る目は、日に日に厳しくなっていくような気がしてなりません。

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