経営: 2015年7月アーカイブ

日本代表する大企業であり、またガバナンス改革の先駆けとも評価されていた東芝が、2008年以降で純利益の約1/3にあたる1500億円も利益をかさ上げしていた今回の事件は、日本企業の経営についていろいろなことを考えさせます。

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報道を見る限り、西田元社長と佐々木前社長の軋轢がこういう事件を引き起こしたのであり、田中現社長を含むこの三人を解任することで幕引きのようにも見えなくもありません。

 

また、現在強烈に推奨されている社外取締役をはじめとしたガバナンス改革は意味がないのでは、との意見も見られます。

 

まず、はっきりさせるべきはこの事件とガバナンス改革とは無関係ということ。ガバナンスとは、正しい情報が経営陣(社外役員含む)に提供されることが前提で、その上でその情報に対してどのような意思決定がなされるか、そのプロセスが適切になされるための仕組みです。ガバナンス制度が正しいからといって、正しい結果がでるとはいえません。必要条件であり、十分条件ではありません。

 

では、今回なぜこのような事態が起きたのか。素人でも思いうかぶ疑問を列記します。

 

1)社外役員がこの不正を見抜けなかったのは理解できますが、なぜ詳細な会計情報を把握している監査法人が見抜けなかったのか?

2)トップが目標達成に向けて、下にプレッシャーをかけるのは当然です。でも、なぜ麻薬のように明らかに後で大変なことになることが分かりきった不適切(違法でなかったとしても)な会計処理を、歴代の社長は(暗にであったとしても)促し続けたのでしょうか?(オリンパスを思い出します)

3)同様に、なぜそのトップの指示に対して、その下の責任者は拒否することができなかったのでしょうか?

 

問題の原因は、三人の経営者固有の資質やスタイルにあるとは思えません。もっと構造的問題がありそうです。

 

目先の利益を優先し、将来より大きな損失が発生する可能性に目をつむるという心理です。実際、今回の事件で東芝が失うであろう損失は、1500億円を大きく超えるでしょう。

 

なぜ、経営者がそんなことをしてしまうのか?

ひとつには、自分の社長任期(4年程度か)にさえ露見しなければ逃げられるとの楽観的認識があったのかもしれません。

 

もうひとつは、自分は直接的には不適切な指示は出していない、部下がそう解釈したにすぎないとの、言い逃れができるとの安心感もあったのかもしれません。確かに、日本の社会では、直接的に表現しないでも、相手が慮って解釈してくれる、そういう人こそ「大人」でありできる人間だ、との暗黙の了解がある気もします。しかし、相手が拡大解釈して、発信者の思惑を超えてしまうような間違いもよく起きます。

 

こうなると、「誰が悪いのか」を誰もわからなくなってしまいます。新国立競技場のドタバタもまさにそう。犯人が分からないので、何となく責任追及が曖昧になり、その結果同じ間違いをえんえんと繰り返す。これは役所も企業も同じです。

 

では、プレッシャーを受けた部下の方はどうでしょうか。なぜ拒否できなかったのか。ひとつは、不適切なことをやってしまったとしても、その責任は自分ではなく上にある、との逃げ道があると思い込んでいたのか。しかし、この論法は先に述べたように、相手方にも逃げ道があります。

 

もうひとつは、「私腹を肥やすためではなく、会社のためにやっているんだ」と自分に言い聞かせているのかもしれません。それは事実だとは思いますが、「会社のため」になると確信を持てているのでしょうか。

 

責任をだれが取るか、誰のためかの議論以前に、「不適切なことは、何があってもやらない」との信念があるかどうかです。その信念がないから、こういう事件が起き続ける。これは、トップも現場責任者も同じです。日本を代表する俊英が集まっている企業の、さらにその上澄みの人たちが、なぜそうなのか。ここが最も大きな疑問です。


絶対的神を持たない多くの日本人ですので、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理が、善悪の基準を曖昧にさせるということはあるかもしれません。(「みんな」とは「うちの会社」のみんな)

 

今朝の日経新聞で、日本取引所前CEO斉藤惇氏はこう述べています。

「新しい形を入れようという試みは悪い事ではない。けれども、その後の人材育成などを含め、真剣に会社を変えるための行動が伴わなければ、空回りに終わってしまう。経営者が自分の頭で考えることがますます重要になってくる。」

 

新しい形を作ることで満足してしまい、その後は思考停止に陥ることは、よく見られます。しかし、「自分の頭で考え」ない経営者がいるのでしょうか?驚きです。多くの経営者を見てきた斉藤氏がいうのだから、そうなのでしょう。

 

したがって、今回の東芝の事件から導き出される最も重要なメッセージは、「経営者は自分の頭で考えろ」なのではないでしょうか。なんとも情けない話ですが。考えない経営者の下に、考える部下が大勢いるとはとても思えません。まずは、経営者の考える力を高め、さらに順々に下の層にもそれを広めていく。なんとも寂しい結論になってしまいましたが、それが現実であり、そこから手を付けるべきなのだと思います。そのように、経営者の首に鈴をつける役割が、最も(よその人である)社外取締役に期待されていることなのかもしれません。やれやれ、・・・です。

 

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