ヒトの能力: 2017年10月アーカイブ

総選挙報道を見ていると、日本政治も来るところまできたかと嘆息してしまいます。国会議員の多くは国家よりも自分が大事と考えていることが、毎日明るみに出ています。ただ、国会議員を嘆くことは、国民を嘆くこととほぼ同義。日本国民は、みみっちくて気の短い自分のこと目先のことしか考えていない人々の集団なのでしょうか。私もその一人であることを認めざるを得ません。

 

熟議がもともと苦手。他人の意見にすぐ左右される。問題があれば、手っ取り早くすぐに解決する結論が欲しくてたまらない。未解決の状況に耐えられない。

(本質的に解決されなくても、「XXX会議」「YYY革命」というものを立ちあげれば解決した気になる)

 

企業研修の場面でもしばしばみられる光景です。「で、答えはなんですか?」経営に正解はないと何度言っても、「じゃあ、先生の考える結論を教えてください。」問題を最短時間で解くことを求められたこれまでの人生、いきなり正解はないと言われても困ってしまう。とりあえず、すっきりすればそれで満足。

 

ここで受講者が望むような速最短で問題解決できる能力を、「ポジティブ・ケイパビリティ」といいます。特に近年、この能力開発に焦点があてられています。

 

それに対する「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何でしょうか?本書によると、

不確かさの中で事態や情況を持ちこたえ、不思議さや疑いの中にいられる能力。

 

以前私は「知的強靭さ」と表現しましたが、似ています。

 

手っ取り早い結論にすぐ飛びついて自分の心理的不安定さを解消するのではなく、そこを耐え、立ち止まってより本質を追求しようとすることができる能力です。この力によって、詩人キーツは本質に近づくことができたのですし、著者は精神科医として患者に向き合うことができたのだそうです。

 

道端に咲く花を見ても何も感じない人もいれば、その花の美しさに感動し詩や絵画で表現できる芸術家もいる。その病気を治癒することができないとわかって受診を拒否する医者もいれば、患者に共感し寄り添い続けることでいい影響を与えることのできる医者もいる。

 

人の判断は、ほとんどが過去の経験や知識に基づきます。つまり自分の持つ小さなフィルターを通してしかものを見て、そして判断せざるを得ません。そして結論を急げば急ぐほど、そのフィルターは小さくなりものが見えなくなります。問題も単純化せざるを得ない。短期的にはそれでもいい。(コンサルタントはその道のプロです)

 

しかし、人間が生きていくということは、単に問題を次々に解決し続けることではない。問題に直面したときに安易に判断せず、場合によっては問題と共存し時間を経ることで適応していくことも大切です。そこで必要なのがネガティブ・ケイパビリティです。

 

不確かさの中で、それから逃れることとは違います。かつてバブル崩壊直後、銀行の不良債権が積み上がっても、いずれ地価は上昇するだろうと高をくくって手を打たなかった銀行。これは、不確かさから逃れる態度です。一方、不確かさや曖昧さに正面から向き合うということは、心理的にはダメージがあるとしても地道に不良債権処理を進めることです。前者は、本当に地価が再上昇すると予測したのではなく、不良債権処理という後ろ向きな仕事をしたくないと思うが故の、希望的観測に基づいていたのは明らかです。それよりも、勇気を持って問題を正面から受け止め向き合うことが、適切な道であったことは歴史が証明しています。

 

これからますます不確実性が高まる世の中になっていきます。過去の知識に基づくポジティブ・ケイパビリティ―の威力はどんどん低下していく一方で、ネガティブ・ケイパビリティの必要性は高まる。

 

ネガティブ・ケイパビリティは、寛容とも近い概念です。拙速に敵味方、善悪、損得を判断し選別することの正反対です。たとえ異なる意見であっても、熟議し共通点を見つけて歩み寄る、それこそが「日本的美徳」だったのではないでしょうか。不寛容は日本だけでなく、世界中に渦巻いています。溜息がでます。

4022630582ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
帚木蓬生
朝日新聞出版 2017-04-10

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