ヒトの能力: 2017年2月アーカイブ

集合的無意識

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作家の川村元気氏が、昨日の日経夕刊のコラムにこんなことを書いていました。

 

詩人の谷川俊太郎さんと対談する機会があった。「集合的無意識にアクセスできればいいと思っているんです。」と彼は言った。

 

表現すべきことは、空中から思いもよらない言葉を捕まえてくることではなく、誰もが感じているが、なぜだか言葉になっていないこと形にすることなんだと気付いた。

 

 

これは、表現者としての川村氏が、自分が何を一体やりたいのか悩んでいるときに得た気づきです。でも、表現者だけでなく一般のビジネスパーソンにも言えることなのではないかと思います。

 

仕事は、ルーティンをこなすだけでは発展性がありません。何か仕事をする中で「なんだかなー」ともやもやすることがあるものです。(朝ドラ「べっぴん」のすみれもよく発しますね)違和感というか気持ち悪さのような感覚。それは意外に自分だけでなく、他の誰かも抱いている感覚であることが多いのです。でも、それを表現する術であったり、発する勇気を持てないのです。それができる人は、リーダーシップがあるとも言えるかもしれません。他の人がやりたがらないリスクを引き受けることでもありますから。

 

この感覚は素人の方が抱きやすい。ベテランは、「そういうものだ」と思考停止してしまうからです。

 

90年代初めのバブル華やかかりし時代、私はコンサルファームに入りました。新米の私は、ある不動産関連のプロジェクトで地価の予測を担当しました。世間はまだまだ上がるという見方が一般的でしたが、違和感を抱いたのです。理由は簡単で、GDPと地価推移のトレンドをグラフに描くと、それまではほとんど連動していた二つの折れ線が、80年代後半から突然地価の方が突出し、GDPとは無関係な動きとなっているからです。どう考えても異常ですし、そのまま持続するとは思えません。先輩方にそう話すと、「そうかなあ」という反応でした。たくさん入ってくる新情報や知識が、事実を見る目を曇らせていたのでしょう。

 

きっと私と同じように違和感を抱いていた人は多いと思うのですが、それはうまく表現されなかった。

 

また、昨年こんなことがありました。神奈川県郊外の葬儀場に向かった私は、降りたこともない駅のタクシー乗り場で、車を待っていました。私の前にも喪服を着た同じような年恰好の男性が7,8人待っています。なぜか皆一人。タクシーは全然来ない。やっと一台来て一人が乗り込み、またしばらく来ないということを続けていました。これでは葬儀に遅れてしまう。たぶん、待っている人たちは皆同じ葬儀場に向かうのでしょうが・・・。

 

そこに、割りと若い感じの男性が列の最後尾に並びました。しばらくすると、彼は待っている我々にこういいました。

「皆さんは、XX葬儀場に行くのですよね。私もそうです。次にタクシーが来たら相乗りしていきましょう。」

そうりゃ、そうですよね。反対する人はいません。皆口々に、「そうですね」とつぶやきました。しばらくして、一台タクシーが到着。4人で乗り込みました。乗り場では会話はありませんが、社内では会話が始まりました。ひとりの方は、会社のタクシーチケットが使えるとのことで、それに皆便乗させてもらいました。結果的にタダで、順番に待つより早く葬儀場に到着できたのです。

 

私は、なぜ自分がその若い男性が発するより先に、相乗りしましょうと言えなかったのか、考え込んでしまいました。きっと、他の待っていた方々も同じように感じたのではないでしょうか。リーダーシップとは、こういうことなんですね。

 

日常でも仕事でも、きっとこういうことってたくさんあるのだと思います。集合的無意識にアクセスし、何らかの表現をすることで、世の中も仕事も一歩前に進めるのです。

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