その他: 2010年3月アーカイブ

バンクーバーオリンピックも終わってしまいました。今回のオリンピックで、多くの方の印象に強く残ったシーンは、女子フィギュア浅田選手のフリー直後のインタビューではないでしょうか。

 

「オリンピックは、長くて短かったです」と答えた後、溢れる涙をおさえることは、できませんでした。

 

そこで、私たち視聴者は、浅田選手の悔しさを一瞬にして知ったのです。では、彼女の悔しさをわかったのか?「わかる」と「知る」では、どう違うのか。そんなことを考えてしまいました。

 

こういう場面での「わかる」とは、共感を意味するように思います。友達の深刻な悩みを聞き、「お前の気持ちはわかるよ」という場面と同じです。

 

浅田選手の悔しさを、情報として「知る」ことは容易ですが、深く共感するには、想像力と自らの経験の量が必要でしょう。

 

 

「わかる」にも、もう一種類あります。先日、引っ越しをしたのですが、そこで作業してくれた引越し業者の手際の良さに、久しぶりにプロの仕事を見た気がしました。

 

引越し先に先回りして荷物が到着するのを待っていた私に、その引越し屋さんは、到着するとすぐに部屋に入り聞きます。「先ほど搬出した荷物の配置を教えてください。」私は、事前に配置をある程度決めていたので、細かく指示しました。私は荷物をすべて理解しているし、配置も決めているからいいのですが、彼は私の指示がわかるのか正直不安でした。正しく理解していないと、運びこむ順番を誤り、手間が大幅にかかってしまいます。しかし、一度説明しただけで、「わかりました」と事もなげにいい、頼りなさげなバイトに細かい指示を出しつつ、ほぼ完璧な順番で運びこみ、配置を終えたのです。迅速でした。資料なんかありません。

 

 

彼の「わかりました」は、対象物、プロセス、出来上がりイメージ、すべてが頭の中で出来上がっており、その通り実行できることを意味しました。つまり、行動に結びつく「わかる」です。

 

他にも「わかる」は、「分かる」「解る」「判る」などいろいろな漢字があり、微妙にそれぞれ意味が異なるのでしょう。

 

「知る」や「わかる」をどういう意味で使っているのか・・・、コミュニケーションって難しいですね。

 

ここまで書いて、「知る」にも実はいろいろな意味があるのではと思いだしてしまいました。また、こんど考えてみます。

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