神輿を担がれる人の責任

NHKSWITCHインタビュー達人達が面白い。

インタビュー番組はたくさんありますが、出演者二人がインタビュアーとインタビュイーを途中でスイッチする、つまり攻守所を変えるのが特徴です。しかも、片方がもう一方を指名するらしいという趣向。誰を指名するか、どんな質問をするか。それぞれに、とても個性が出ます。

 

私は録画しておいて後で観ることが多いのですが、GW中にやっと「中井貴一VS糸井重里」を観ました。期待に違わずとても面白かった。糸井の話を聞く機会は多いですが、中井の演技ではなく話をじっくり聞いたのは初めて。でも中井の話は予想以上でした。

 

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一番印象的だったのは、時代劇への想いでした。風前の灯の時代劇を、彼はなんとか守っていきたいと考えている。確かに、近年時代劇映画への出演は目立ちますが、特に時代劇俳優というわけでもないにも関わらず、熱く語っていました。

 

時代劇はヒットする可能性が低く、製作者は腰を引きがちだそうで、出演者としても、出演作品が失敗することは俳優の名声にも関わり、下手をしたらその後仕事が来なくなることもありうる、と中井ですら心配してしまうそうなのです。つまり、中井ほどの俳優でも、時代劇出演にはリスクを感じている。

 

でも、彼が時代劇にこだわるのは、裏方さんの卓越した技術を途絶えさせたくないとの思いと、彼ら彼女らのプロ意識に敬意を抱いているからなのです。例えば、立ち回りは、主役を引き立てる殺陣師の技量によって成り立つ。主役が下手でも、殺陣師がうまければ主役が輝く。それは、衣装、化粧、照明、大道具などあらゆる分野でもそう。彼らは自分の仕事にプライドを持っている、その姿に中井は魅かれるのだそうです。

 

さらに、中井は父、佐田啓二の話をしてくれました。

 

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佐田が1956年「あなた買います」でブルーリボン賞主演男優賞を受賞したとき、受賞あいさつで、「次回は助演男優賞を目指します」と述べた。自宅に戻った佐田に夫人が、「みなさんは主演男優賞を目指しているのに、それを受賞したあなたが助演男優賞を目指すというのは、なんだかいやらしい。」と非難。佐田はこう応えたそうです。「主演は何もしなくても周りが引き立ててくれる。助演は自分の力で立たないとだめだ。だから助演男優賞が欲しいんだ。」

 

主役は、ある意味御神輿に乗っていれば、みんなが支えてくれる。本当の実力者は御神輿を支える側の助演俳優だ。たとえ自分は目立たなくても、実力で評価されたい。主演と助演に上下はない。あるとすれば、助演の方が上。そういうことなのでしょう。

 

中井は、父と同じく助演をはじめたとした他の俳優や裏方さんこそが、本当の実力者であり、それが日本映画界の財産。それを守り後世に残していくのが、主演俳優たる中井のミッションだと考えているのだと思います。佐田の時代の映画界の雰囲気が、現在かろうじて残っているのが時代劇なのでしょう。

 

私はこの話を聞き、中井の俳優としての器の大きさに関心すると同時に、現場が上を支えていくという構造は、日本企業と同じだなと感じました。しかし、時代劇がまさに直面しているように、「変化」には脆弱で。そこが難しい・・。

 

ところで、女優高峰秀子も、別の表現で同じようなことを書いています。

 

四日で一本のドラマを作るテレビジョンなどと違って、(映画は)根気と愛情、そしてスタッフ全員のチームワークがとえれていなければ出来る仕事ではない。画面に映らない「かげの人」たちは、画面に映る被写体、つまり俳優たちのために髪を結い言い、ライトを照らし、カメラをまわし、移動車のレールを敷き、クレーンをあやつる。

 「私はいったい、この大勢のスタッフの努力に対して、俳優というクギとしての責任を果たしているだろうか?」 職業意識が、たとえ、わずかとは

takamine-kao.jpgいえ、私の心に芽を出したのはこのころからである。誰に教えてもらったものでもない。

 本で読んだことでもない。五キロ、十キロのライトを全身の力で押し上げるライトマンの光る汗を見ながら、いつか私は、それを、経験から教えられていたのである。人間は環境に慣れやすい動物だというけれど、十三歳の私の柔軟な心に、人間はみな一本のクギという東宝の「気風」が、ごく自然にしみこんでいったようである。

  画面に出る人も出ない人も、みなが理想の楼閣を作り上げたいという目標の前で、平等な「一本のクギ」である。(出所:「私の渡世日記」)

 

神輿に担がれる人としての責任、これはとても日本的ですが、忘れてはならないものだと思いました。

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このページは、福澤が2015年5月11日 11:22に書いたブログ記事です。

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