企業が変わってしまう理由:「さよなら!僕らのソニー」を読んで

さよなら!僕らのソニー (文春新書)
立石 泰則
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創造性溢れる企業が、時間の経過と規模拡大に伴ってそれを失い、平凡な企業へとなっていく、これは珍しいことではありません。それでも、それが「ソニー」という、ある時期の日本人にとって象徴的な企業の場合、当然と流してしまう気にはなれません。本書は、そういったソニーに対する愛情溢れる立石氏による、変貌過程のルポと言えます。

 

立石氏より約一まわり年少の私は、彼ほどの思い入れはないとはいえ、それでもやはりかつてソニーは特別な存在でした。なので、少なからず共感しながら一気に読みました。

 

ソニーの変貌は、創業者の存在感が薄れていくという時間の要素、企業規模拡大に伴う管理の必要性の要素、そしてグローバル企業となったが故に起こった要素、の三点にあるのではと本書を読んで感じました。それらは当然、「経営者」を起点にして絡み合っています。

 

以下は、本書の記述を信じたうえでの私の解釈です。

 

創業グループに属する大賀社長は、盛田氏から次の社長は技術畑からと申送りされていました。しかし、本命がスキャンダルで脱落したため、ハー

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ドとソフトの融合に思い入れの強い出井氏を抜擢します。大賀氏は、盛田氏との約束を破ったことになります。それゆえか、大賀氏は社内基盤の弱い出井氏の後見として影響力を維持しようとつとめますが、やがて院政をよしとしない出井氏は反発し、関係は悪化します。

 

正統性に乏しく社内基盤の弱い出井氏は、グローバル・スタンダード経営という、当時の経営環境や社会の雰囲気から、誰もが反対しづらい旗を立て、過去のしがらみや先輩らからの影響力を排して自らが主導できる経営体制を構築しようとつとめます。それが、CXO体制、執行役員制度、社外取締役制度のような人事&ガバナンス制度、eHQEVA、製造のアウトソースなどの組織&経営管理手法といった、当時先進的だと持ち上げられた多くの経営改革手法です。

 

それまでの社長に比べて正統性の低い出井氏は、短期間で高い業績を上げ、数字で権威を得るより仕方なかった。しかし、思ったような成果は上

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げられず、自分が指名した社外取締役からなかばNOを突きつけられるような形で退任した出井氏は、誰も予想しなかった米国人、ストリンガー氏を後任社長に指名します。「エレクトロ二クスのソニー復活」を掲げて新体制を敷くことを決定したにもかかわらず、技術畑どころかソニー製品に関わってこなかった、日本には住まないと明言しているストリンガー氏を、です。出井氏が影響力維持を望んで、院政をひきやすい人を選んだという見方もできます(オリンパスにおける菊川氏とウッドフォード氏との関係が頭をよぎりました)。自らが受けた仕打ちを、今度は自分が後任にする・・・。そして、今度は平井次期社長に・・・。本当にそれが会社にとって正しいことだと考えていたのでしょうか。

 

投資家の影響力が強い上場企業であれば、強い正統性を持たず、かつ戦略を描けない経営者は、すぐに「数字」で結果を示すしか生き残る方法はありません。したがって、どうしても短期志向にならざるをえない。特に、海外市場や海外投資家の影響力の強いグローバル企業ではそうです。そして、それを促す仕組みが、ソニーが先鞭をつけバブル崩壊後に日本企業に浸透した「グローバル・スタンダード経営」なのです。

 

ソニーという戦後の焼け野原から生まれ出た日本企業がグローバル企業になっていくには、避けて通れなかった道なのでしょうか。「グローバル・スタンダード経営」は本当に必要だったのか?仮に必要だったとして、そのための手法は適切だったのか?あるいは適切に運用されていたのか?手法やツールは、使う人の意識や能力によって毒にも薬にもなりえます。今のソニーは果してどうなのでしょうか?

 

アップルが復活したのは、その逆をいったから、すなわち正統性を持つジョブズが復帰し、それまでスカリー以降の経営者が進めてきた「グローバル・スタンダード経営」を強引にぶち壊したから、とも言えるでしょう。かつてジョブズがソニーを尊敬していたことを思えば、皮肉なものです。

 

 

本書で語られるソニーの事例は、ソニーという特別な企業だから、と考えることもできますが、一方で多くの日本企業が参考にすべき点が数多く含まれている気もします。

 

ソニーはこのまま存続を続け、場合によっては再成長するかもしれないが、もはや「僕らの」ソニーは失われてしまったと嘆く著者の愛憎半ばする感情も理解でき、ちょっと複雑な読後感でした。

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このページは、福澤が2012年1月25日 18:16に書いたブログ記事です。

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