戦略の本質:「『ばかな』と『なるほど』」

神戸大学にいらした吉原英樹教授(現南山大学教授)は、戦略の本質を『ばかな』と『なるほど』」と表現されています。

 

その時点で見れば馬鹿げた施策であっても、振り返ってみれば納得できる、というわけです。・・・「なるほど」ですね。

 

 

個人的経験に照らして言えば、90年代前半、企業における中堅層以上への教育は、その企業特有の仕組みや制度の伝授が大部分でした。もちろん専門分野(経理や技術)の教育もありましたが、対象者は限られていました。また、管理職研修という特殊な分野はありましたが、これも管理職に昇格した時点で、管理者としての心得を伝える一種の儀式の要素が強かったように思います。講師も、社内のベテランか、社外でも大学教授か功成り名を遂げた偉いシニアだったと思います。これが当時の常識でした。

 

そこに、「経営には汎用的知識やフレームワークがあり、それを研修で学ぶことができる。そして、それを教えるのは、それを使いこなしている現役のビジネスパーソンが最も適している。」という非常識で、市場を開拓していきました。多くの企業は、「本当か?教育の素人だろ」という反応でしたが、一部の企業では「もしかしたら、そうかもしれない。試してみようか」と、好意的に受け入れてくださいました。バブル崩壊によって、多くのビジネスパーソンが迷っており、新しいものを求めていた、との背景もきっとあったのでしょう。

 

しかし、今や、その考え方が主流になっています。「なるほど」を通り越して「当たり前」になっているのです。(やや行き過ぎのきらいもないではありませんが・・)

 

では、当時、私たちがそんな変化を洞察していたかというと、半分そうですが、半分はそうでもなかったように思います。ビジネススクールで学んだことが「役立つ」と感じていたので、その意味では確信がありました。ただ、役立つと感じてくれる人は、選抜者などの一部エリートかもしれないと思っていました。日本企業は、まだまだ選抜教育に抵抗があったので、市場性は正直それほど大きくないとも思っていました。

 

講師についても、年功序列がまだまだ残る日本の大企業で、若くしかも教育の素人が、(若手社員ならともかく)企業の中核を担うようなビジネスパーソンを教えても大丈夫なのか?との不安はとても大きかったことを覚えています。でも、そういうアルバイトで協力してくれるような若い講師しか集められなかったので、仕方がなかったのです。振り返ってみれば、顧客はそれを受け入れてくれ、またビジネスとしては講師に支払う費用を変動費化できたわけですから、うまくいきました。成長が軌道にのってからは、「なるほど、うまくやったな。」と言われたものです。

 

今も、見えないところで社会は少しずつ変化しているはずです。今認識している常識も、もしかしたら現実とはずれているかもしれません。それをいち早く見つけて、先手を打つことこそ、経営の醍醐味だと思います。

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このページは、福澤が2010年9月15日 10:40に書いたブログ記事です。

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