緊張感とリラックス

何度経験しても講演や講師を務める前は緊張します。直前の緊張感は、あまり気持ちの良いものではありません。

 

何度も話したり講師をした内容であっても、です。当たり前ですが、相手(聴衆や受講者)は毎回変わります。また、私自身も毎回、体調や考えなども変わります。まさに、毎回一度切りの真剣勝負です。

 

 

そういえば、高校生の時、ある地理のベテラン先生が、

「お前たちは、教師は同じ授業ノートを使って、同じ内容をレコードのように話すだけで楽だと思っているだろ。そうじゃない。毎年度末、授業ノートは捨てる。そして、新年度はまた新たな授業ノートを作っているんだ。」

と、何かの拍子で授業中に話したことを思い出しました。

 

その時は、へー、無駄なことやっているんだなと思う反面、その先生の矜持のようなものを何となく感じたものです。

 

 

かつて、同じ内容だと、多少安心しリラックスして臨むこともありました。内容はほとんど頭に入っているので、あまり準備もする必要がありません。でも、たいていそういうときは、満足いく講演やクラスにはなりませんでした。

 

「ここまで準備したんだからもうじたばたしても仕方ない」という場合のリラックスと、「これまで何度もうまくいってきたらから心配ない」というリラックスでは、全く質が異なるようです。前者は、緊張感のあるリラックスで、後者は緊張感のないリラックス。

 

 

緊張感のある研ぎ澄まされたリラックス状態をつくる方法は、今のところ毎回ぎりぎりまで真剣に準備することくらいしか思いつきません。稽古、稽古、とにかく稽古だ、という選手や演者の言葉をよく聞きますが、(恐れながら)同じ心境なのでしょうか。

 

 

今思いついたのですが、緊張感のあるリラックスは、座禅をしている時の心理に近いような気がします。

 

 

 

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このページは、福澤が2009年7月 8日 10:35に書いたブログ記事です。

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